拡散 終戦60周年の年[平成17年]より開始の 「英霊顕彰の集い」  8月4日 ご参加ください | 産経新聞を応援する会

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第9回英霊顕彰―県民の集い
1.終戦60周年の年[平成17年]より開始の
「英霊顕彰の集い」

終戦60周年を迎えた平成17年8月に小野田寛郎氏(㈶小野田自然塾理事長)を講師にお迎えして「追悼・感謝―終戦60周年福岡県民の集い」を実施致しましたところ、参加者の方々より大きな反響を戴きました。翌18年より毎年、日本人が歩んだ歴史を正しく学び、祖国のために殉じられた方々に対して追悼と感謝の念を育むことを目的に「追悼・感謝―英霊顕彰・県民の集い」を開催し、本年で9回目を迎えました。


2.日米戦争に至った背景には、
ソビエト共産主義者による
コミンテルンの暗躍が存在

これまでに靖国神社、所謂A級戦犯合祀、大東亜戦争、南京攻略戦の真実、東京裁判、更に社会主義国家への日本改造を目論んだ米国のOSS(戦術局)等のテーマを取り上げて参りました。本年は、日本会議専任研究員として活躍されてきた江﨑道朗氏(評論家)をお迎えして、8月4日(日)13時より福岡国際ホール(大ホール)において「第9回 追悼・感謝―英霊顕彰・県民の集い」を開催致します。

先の戦争経験者の中に、あれだけわが国は戦争を避けようとしたにもかかわらず遂に大東亜戦争に至らざるを得なかったことに、「何か目に見えないものが働いていたように思う」との所感を残されている方々がおられます。その「目に見えないもの」とは何であったかについては、昭和25年に三田村武夫氏(内務省警保局勤務)が『戦争と共産主義』[GHQより発禁処分]の中で言及されました。戦後、数十年を経て復刊されるに当たり、その内容を読まれた岸信介元首相が「読む程に、私は、思わず、ウーンと唸ること屡々であった」と述べ、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対英米蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内でこれを巧妙に誘導したのが、共産主義者、尾崎秀實であった‥‥」と序文を寄せられています。

現在は、「50年ルール」によって当時の機密資料が各国で公開されるようになり、わが国だけでなく米国もソビエトの共産主義者が多数送り込まれて、「日米戦争を引き起こしたのは、ソ連に好意的であったルーズヴェルト民主党政権と、アメリカの政権内部で暗躍したコミンテルンのスパイたちだった」ことが明らかになってきました。江﨑氏は、昨年12月に上梓された『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』の中で、如何にルーズヴェルト政権の中にソビエトの共産主義者が侵入して、日米戦争へとひた走ったかについて紹介されています。

 戦後のわが国では、日本が支那大陸や資源を求めた南方への進出によって英米仏蘭が対日禁輸を実施し、それに耐えかねた日本が戦争を引き起こし、「悪いのは日本だ」というのが戦後の歴史観です。しかし現実は、ドイツとの戦いで多大な犠牲を強いられ命運が危うくなりつつあったソビエトが自国を死守し、更に国際社会の共産化のために自由主義国同士を戦わせる謀略の結果、遂に日米戦争に至りました。無論、非が他国だけにあるのではなく、いかなる謀略が働こうとも正確な諜報活動と透徹した戦略と政策によって自国を防衛できなければ衰亡するしかなく、当時の政府の責任は十分に重いものがありますが、そうした反省も含め、今後のわが国を考えていく上で貴重な講演になることと存じます。