韓国外相は靖国に参拝すべき! | 産経新聞を応援する会

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平成25年4月24日(水) 沖縄マスコミは~異常(沖縄版ファビョン)

 地元2紙は、「4・28糾弾キャンペーン」を実施中、なんでも「サンフランシスコ条約で日本は沖縄を

切った」と言うのです。同時に米国統治は遊民として屈辱だったと言うのです。わかっていない沖縄版ファビョン(被害者病)です。 

 1950~60年代の「沖縄タイムス」には「忘れてはならない、米軍の高いヒューマニズム」と言う表現が

頻繁に使用されており、なんと「琉球新報」は、講和条約調印を祝って「うるま新報」より「琉球新報」に

改称しております。

 両紙とも沖縄統治権者の米軍司令官が転出する際、「慈父のような~中将閣下」と大見出しで論評

しております。

 先帝陛下はご立派でした。こういうパラノイア・メデアを放置していては中国国民党や共産党、ひいては

ロスケに沖縄が占領されると危惧され、米国の日本の潜在主権を明記したままで(国力を回復するまで

の間)条約による信託統治を要請されたのです。

 ちなみに北方領土は未だ軍事力を行使した不正占拠状態下にあります。

 

平成25年4月23日(火) 韓国外相は靖国に参拝すべき!

 昭和59年5月27日(海軍記念日)、元帝国海軍高雄海兵団(台湾)で鍛錬された台湾人約50人の

方々が、沖縄海友会を訪れ会食されました。「海友会」とは帝国海軍軍人および海自関係者で編成さ

れる親睦団体です。

 殆どが大學教授や企業のオーナーとして地域社会のトップに立っておられました。

 開口一番、「今日、我々があるのは日本のお陰」と挨拶され、「これから上京して靖国神社を参拝しま

す」と一行のリーダーは日本語で語っておられました。

 これと対照的に朝鮮人は恩知らずです、いや恩を仇で返すはぐれ者集団です。

 わが国が日露戦争で30万の犠牲を払ってロスケを北方に追いやり、また朝鮮に帝大以下各種学校

を創って教育したからこそ、今の朝鮮人は金とか銀とか名乗って半島におれるのです。

 昭和6年、半島にハンセン病が蔓延しました。これを聞かれた貞明皇太后は、「朝鮮同胞罹患者救済

のため」と救援金を下賜されました。感動した朝鮮総督府は総督から給仕のオバーまで募金を行い、

ハンセン病罹患者の救済施設を創ったのです。このとき、朝鮮大衆は感動の涙を流して日本政府に

感謝したのです。

 この人種の日和見主義的な性格は救いようがありません。なにしろ10年ぐらい前まで、朝鮮人は北京

や欧米で国籍を聞かれると、「日本人」と平気で嘯いておりました。その方はステイタスがあがるからで

す。

 

平成25年4月21日(月) 沖縄左翼は、おんぶに抱っこのトッチャン坊やたち

 「4.28抗議県民大会」の左翼ボンボンの主張を聞いて唖然!「日本は主権回復のため沖縄を

切った」だそうな。

 米国統治時代、私の住む沖縄コザ市には、強いドルの傘の下で、「日本人立ち入りお断り」の立て

看板を設置した飲み屋がありましたし。ドル束をチラつかて都内の不動産を買いまくった飲み屋の帝王

も近所におりました。

 昭和47年5月15日、日本復帰が秒読みになったとき、「日本復帰反対」を叫んだのは沖縄左翼で

した。2004年、仲井真県知事(裏口東大出身)は「廃藩置県130周年、薩摩侵攻400周年」と題して

反日キャンペーンを県庁を挙げて実施したくせに、今度は、「沖縄を切ったのが不満」だそうな...精神

が分裂しているようで...

 これが中国ならおもろい。反対県民大会に戦車隊が出動して活動家をペちゃんこに踏み潰し、さらに

火炎放射のおまけつきです(沖縄版天安門事件)。一度(100年ぐらい)、沖縄を中国に預けてみては

どうしょうか?

 

平成25年4月20日(土) 米国のお陰で沖縄住民の生活は飛躍的に向上した。1956年元総理から

 1956年6月28日、芦田均元総理は国会で、「米国のお陰で沖縄住民の生活は向上した。日本の統治

ではこうはいかなかっただろう、戦前沖縄住民ははだしで麻袋みたいな衣装を着けて生活していたが、

今では革靴をはき、背広をつけ鉄筋コンクリートの小中学校も建設されている」と発言しました。

 今なら「差別~」と騒ぐでしょうが、事実だったので誰も反論しなかったのです。ご恩を忘れないこと、感謝

すること、ご恩に報いるため社会に建設的に寄与することこそが県民の務めではないでしょうか?

 

平成25年4月17日(水) 下関条約より118年、陸奥宗光の功績を偲ぶ

 118年前の本日、伊藤博文(首相)・陸奥宗光(外相)と清国全権李鴻章の間で下関条約が締結され

ました。その結果、沖縄列島、および朝鮮半島への中国の介入は完全に排除されました。

 会談中、李鴻章は言を一転二転させて日本側を翻弄しました。そのとき陸奥(当時50歳)が李鴻章を

物凄い形相でにらみつけたのです。陸奥の刺すような眼光に李は震え上がって態度を改めたのです。

 陸奥(和歌山出身)は若き日、薩長閥に抵抗し、薩摩要人の暗殺を企だてたとして牢屋にぶち込まれ

たこともありました。

 現代日本政治家は明治人のエネルギーを学ぶべきと思います。なお当時、清国勝利を祈って神社

仏閣に参拝祈願を繰り返していた琉球士族達(中国帰化人)は中国に逃亡しました。

 

平成25年4月8日(月) 拙著「海の武士道」が道徳教科書に掲載されました!

 皆様方から物心両面によるご支援の結果、山形県教育委員会が取り組んできました。

拙著「海の武士道」道徳教育用の指導教本、晴れて完成致しました。今週、山形県県下各中学校に

配布されます。

 また今年、同教育委員会主催の学校教育研究大会(高畠四中会場)でこの資料を使用した授業研究

会が開催されます。

 「修身」が廃止されて以来、帝国海軍軍人のリーダーシップが66年ぶりに学校教科書に復活されます

(GHQによって削除されました佐久間勉海軍大尉の話は、不思議にもカリフォルニアのハイスクールの教科

書に登場し、また米英両海軍士官育成のための精神教育用のテキストに引用されております)。

 現在、下村博文文科大臣が審議されております道徳教育のあり方についてもこの一連の動きがインパ

クトを与えるものと確信されます。

 本件につきましても引き続き、皆様方から下村大臣に是非、ご推薦のほど御願い申し上げます。

 

平成25年4月4日(木) 沖縄全体がやがて与那国町化する(与那国町長、自衛隊誘致活動をしながら、「迷惑料10億円よこせ!」と)

 明治12年(134年前)の本日、沖縄県が正式に発足いたしました。

 当時も清国政府がこれに厳重に抗議し、また、沖縄在住の中国帰化人勢力が一斉に蜂起して反日

活動を開始しておりました。

 このような勢力は日清戦争でわが国が勝利した結果、一部は中国に逃亡し、あるいは島に留まった

連中は、日本名に改称し日本人に成りすましたおりましたが、仲井真知事を始め、またその子孫が沖縄

奪還を目指して蜂起しつつあります。

 しかし我々、県民は、日本人として本来の祖国に戻り、明治政府によって土地私有制や義務教育制度

が沖縄に確立されました結果、庶民大衆もようやく文字の読書ができるようになり、また、自由経済体制も

確立されたのであります。

 ただ平成9年以降、時の橋元総理、梶山官房長官のコンビの自民政権発足以降、基地反対派に金を

やる陋習を確立したため、沖縄人は先祖返りをしたのであります。

 安倍政権もまたこれを踏襲し、政権発足以降、中国帰化人知事に対し、予算満額回答、総理、防衛、

外務、官房長官による沖縄県知事拝礼訪問を繰り返しております。

 対清国外交や、沖縄県確立に尽力されました大久保利通卿はあの世から、「内閣!」と切歯扼腕され

ていることでしょう。

 今回の政権も沖縄問題で足元をすくわれるのではと危惧されてなりません。

 いずれにしましても閣僚が沖縄を訪問するとき、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎へ参拝しております

が、辞めて頂きたい、叔母も叔父も今次大戦では祖国を守るべく勇躍従軍し散華しました。国民として

当然の義務を果たしたまでです。

 なお前者は12万人、後者は24万人の一般戦没者を祭っていると言われていますが、沖縄戦争に

おける一般人戦没者は6万人です。数を膨らませため、戦後交通事故で死んだ人間や、豚の骨までも

遺骨としてカウントされているのです。

 どうしても参拝したいなら、第32軍司令官牛島満大将の顕彰碑を参拝して下さい。仲井真知事は上京

の折、答礼として靖国神社を参拝したのか?

     (以上)