今回のステキナオトナタビ♪は、ここ「サロマ湖」からです。
サロマ湖は、網走と紋別の中間にある汽水湖(淡水と海水が交じりあっている湖)です。
北海道内で最も大きな湖で、琵琶湖、霞ケ浦に次いで大きな湖なんですよ。
ホタテで有名です エビ、カキも美味しいですよ
右奥に見えるのが(見えない?)、ワッカ原生花園です。
左を見ると浜佐呂間の漁港があります。
さて、そんなサロマ湖の畔に「ところ遺跡の館」があります。鶴雅の裏山です。
ところ(常呂)とは場所の名前です。
こんなところ(しゃれではありません)に遺跡が?と思いますよね。
樺太(現サハリン)~オホーツク沿岸~北方領土にかけて、似たような文化圏があったそう
です。以前ブラタモリでもやってましたよね?ご覧になられた人もいるのでは。
左の丸い建物が遺跡の館で、その裏山に竪穴住居の跡が今でも残っています。
四角くボコボコしているところが、住居跡です。
時代によってドンドン家が進化していきます
裏山には広大な森が広がっていますが、遺跡の部分まで行く事が出来ます。
クマが出そうでちょっと怖いですが ツキノワグマではないですよ、ヒグマです
擦文(さつもん)文化とは、土器に木で擦って文様を付けた時代(文化)なので擦文文化と
呼ばれるそうです。
最大の住居跡が復元されています。
この場所からは土器も見つかっているそうです。
最大級の建物で、最大30名ほどが住んでいたそうです。
1000年程前に、実際にこの場所で生活していたのかと思うと歴史の重みを感じました
中には囲炉裏も再現されていて、実際に火もともされていました。
日中なのにかなり暗いです。冬は寒かったんだろうな~と思ってしまいました
縄文時代の平均寿命は30代だったそうです
もう一つの跡は10名前後の住居の様です。
広そうに見えますが、この中で10人で生活するのは大変だったろうな~と
大きさも違いますが、玄関の形も微妙に異なっています。
最後は、建物は復元されず、大きさだけが分かるようになっていました。
一番最初の建物に次いで大きな住居だったようです。ちょっとした範囲ですが、かなりの
数の竪穴住居跡(窪み)があり、この場所でけっこうな人が生活していたんだろうなと感じ
られました サロマ湖の恵みも大きかったのかもしれませんね。
そんなサロマ湖も色んな形になりながら今の形が出来上がったんですね。
北海道は本州からの移民(ちなみに我が家は父方が高知と山形、母方が富山)が多いの
で、アイヌ以外にここまで深い歴史があったとは私も深くは知りませんでした。
網走、北見からそれぞれ約1時間です。食べ物もおいしい場所ですので、ぜひ近くにお越し
の際は立ち寄ってみてくださいね。思った以上に見応えがありました。
この度もご覧頂きありがとうございました。
次は、東北(花巻~仙台~山形)をお送りさせて頂きます♪
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