最近ね
東洋思想の勉強会に
出ているんですけども
そこで、
ワタシの住んでいる
岐阜県の儒学者佐藤一斎の
「言志耋録」にある一文を習いました
得意の事多く、
失意の事少なければ、
其の人知慮を減ず。
不幸と謂う可し。
得意の事少なく、
失意の事多ければ、
其の人、知慮を長ず。
幸と謂う可し。
↓意味(こちらよりお借りしました)
得意のことが多く
失意の事が少なければ、
真剣に考えることが無いから思慮分別が足りなくなり
不幸というべきである。
反対に、得意の事が少なく
失意のことが多ければ、
不味いことを跳ね除けようと色々と思いを巡らすから
智慧や思慮が増えてゆく。
却って幸いといわねばならぬ。
これを読んだ時に、
思い浮かんだのは
我が子のことでした
小3の我が子は卵アレルギー
今のところ
まだまだ先が見えません
外食場所は特定されるし、
(アレルギー表示のあるチェーン店に行くこと多し)
チェーン店ではないお店で
アレルギーのことを聞くと、
「めんどくさい客来たな」
みたいな顔をされること
マジ多いです
(顔はニコニコしてるけど困った感じが伝わってくるのです。顔に出るとはまさにこのこと)
給食も毎月
献立表をチェックして
学校に提出し、
卵の献立日は
代替ごはんを持参します
でも、そのおかげで
ワタシはパンやお菓子作りが
めっちゃ上達しましたし、
めんどくさがらず
親身に教えてくれるお店や
対応してくださる姿に
ものごっつ感動します!
だから、
失意なことは
一見、不幸せかもしれないけど
逆に、幸せの感度を
上げてくれるものかもしれません
昔の人のコトバって
励まされますなぁ。。。じーん。。。
アナタにとって、
失意なことだけど
逆にそのおかげで
考えを巡らせることができ、
幸せに通じていることって
ありますか?
失意なことがあった時に
佐藤一斎の言葉を
思い出せるといいな
どこか頭の片隅にでも
無理矢理そう考えよう
…ってのじゃなくて、
知ってたら
ちょっと救われると言うか
こんなご時世だから
そんなことをつれづれ思うモカなのでした