*竹取の翁/捨丸は「サンカ」か? 『かぐや姫の物語』を見る | 『サンカ研究』(山窩ラボ)

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「サンカ」「山窩」という不思議な存在を調査し、宣伝していきます。



3月13日に日本テレビで放送された
高畑勲監督『かぐや姫の物語』。
その平均視聴率が18.2%という好記録を達成したとのことです。


わたくしは13日夜、いつものように
Twitterでサンカ言説をチェックしていたところ、
「捨丸はサンカ?」というようなTweetが
同時発生的になされているのを目撃しました。
「いったい何事?(花の慶次の)捨丸ってサンカ設定だっけ?」
などと思いましたが、
『かぐや姫の物語』が今まさに放送されている
最中であることに気付きました。


ちなみに、似たような現象は
『もののけ姫』が放送されたときにも起こりました。
「サンはサンカだ!」というTweetですね。


「サンカ」という言葉が、
例えば10年前と比べて、
広く知られるようになったことの
ひとつの証ですので、
わたくしは嬉しく思いました。


さて、気になりましたので
さっそく『かぐや姫の物語』を
視聴しました。
注意点はもちろん「サンカ」についてです。


こんなことをいうとあまりに実も蓋も無いのですが、
「サンカ」という概念が行政文書で使われるようになったのは、
幕末から明治ですので、
竹取物語の時代には「サンカ」は存在しません。
このことは念頭においておかなければなりません。


『かぐや姫の物語』を見終わりまして、
なぜTwitterでみなさんが
捨丸たちを「サンカ」だと思ったのか、
とても考えさせられました。
捨丸たちは、
劇中で明らかに「木地師」であると明言されているのです。
おそらく「サンカ」という言葉が、
「木地師」などをも含む、山の民全般を差しうる言葉であるという
認識が、広まっているのだろう、と
わたくしは思いました。


捨丸たちより、むしろ竹取の翁こそ
「サンカ」と呼ばれるべきであろうとも思いました。
劇中では「ざる」と表現されていましたが、
翁が作っているのは間違いなく「箕」なのです。


物語冒頭でこんな場面がありました。
媼(おうな)が赤ん坊のかぐや姫を抱きかかえ、
翁に向かってこう言います。


ーーーーーーーーーーーーーーー
上物のザルをひとつ。
もらい乳のお礼にね。
ーーーーーーーーーーーーーーー



この時、翁が手にしたものこそ「箕」です。
箕は、米と籾殻やゴミを分別するための道具で、
ちりとりのような形をしています。


この「箕」と、
「サンカ」は切っても切り離せない関係にあります。
つまり、「サンカ」のもっとも重要な職掌のひとつが、
箕の製作と修繕なのです。
たとえば、関東ではついこのあいだまで、
いわゆる「サンカ」を
「ミナオシさん」「ミーヤさん」と
呼んでいたことが知られています。


それはそれとして、
「なんで捨丸がサンカだってみんな思ったんだろう?」と
わたくしは考えました。



劇中で、
捨丸たち木地師は木を取り尽くすとよそへ移動し、
「10年は戻って来ない」と説明されます。
つまり、「漂泊性」が強調されているのです。
一方で、竹取の翁たちが
漂泊をするそぶりは全く見当たりません。



捨丸が見せた「犯罪性」。
捨丸は「俺たちが生きていくためには、
ときには泥棒まがいのことをしなければならない」というような
発言もしています。
竹取の翁たちには、このような「犯罪性」の香りはありません。


この「漂泊性」と「犯罪性」は、たしかに間違いなく、
捨丸たちに与えられています。
そしてこれは、「サンカ」の重要な要素であるのです。


さらに
かぐや姫をめぐって
帝(みかど)と、捨丸の三角関係を思えば、


「最高権力者・帝」VS「サンカ」


という構図は完全にアリだとわたくしは思います。
Twitterのみなさんは、無意識的にこの対比を
見抜いたのかもしれません。
そして、映画の制作者たちも、
この構図を念頭においていた可能性は
十分にあるでしょう。


箕を作るという点で言えば、翁こそが「サンカ」的であり、
「漂泊性」「犯罪性」の観点で言えば、捨丸が「サンカ」的である。
これが、とりあえずのわたくしの考えです。


さて、
手元にサンカ研究でも有名な沖浦和光先生の
『竹の民俗誌』があります。
この本は、分量は少ないのですが
「サンカ」への言及がある研究書で、
サンカ研究の古典のひとつ。
おそらく高畑勲監督もこの本を参照したことでしょう。



これを再読しなければ、と思っております。

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