*2ちゃんねる「尾瀬・岩塔ヶ原のサンカ都市伝説」について | 『サンカ研究』(山窩ラボ)

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「サンカ」「山窩」という不思議な存在を調査し、宣伝していきます。



【謎?】日本最後の秘境といえば岩塔ヶ原だろ【サンカ?】
という動画が、YOUTUBEにアップロードされています。
https://www.youtube.com/watch?v=plidCt4lJ04
(2013/09/28 公開)
この動画は、2ちゃんねるの書き込みログを動画化したものですね。


この動画は、以下の2ちゃんねるまとめサイトを元に
作られた可能性があります。
「日本って絶対未踏の地あるよな。すげえ山の奥とか」
(2013年09月27日23:55)


気になるところをピックアップして、
以下にコピペしました。


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63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 01:18:45.13 ID:nrxocY+00
日本最後の秘境といえば岩塔ヶ原だろ 
だいぶ昔に2chの専門板で騒がれた 



82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 01:36:39.08 ID:2RA7HDjZ0
>>63 
kwsk 



85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 01:48:51.31 ID:nrxocY+00
>>82 
尾瀬の奥、自然保護の理由で立入禁止区域にあるとされている場所 
官僚出身で学者の西丸震哉っていう世界各地の秘境(アマゾン、南極、北極などなど)を
踏破してきた権威ある人が本に書いたのが発端 
そこにはサンカの人々の神殿があって、岩の塔のようなものがある 
西丸は何度も尾瀬に突入してやっと場所を特定し本に示唆したが、
その後西丸は尾瀬への立ち入りを禁止される 



87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 01:52:05.17 ID:2RA7HDjZ0
>>85 
すげえワクワクするな。そんだけ騒がれてたのに実際に行ってみたやつとかいなかったのか? 



88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 01:59:20.07 ID:nrxocY+00
>>87 
そもそも今となっては立ち入り禁止だから容易に行けない 
西丸曰く3日分の食糧と「死にたくなるような藪」をその期間歩かなければならなかった、と書いてる 
西丸の本には岩塔ヶ原への地図がかなり大まかに書かれていて、それだけが唯一の手掛かり 
10年以上前に2chの登山板にスレ立って、調査隊も組まれたけど失敗。
その後変な荒らしが沸いてどうなったかわからない 



90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 02:05:07.88 ID:zuhlCvD20
1 : 影の軍団ρ ★[] 投稿日:2010/05/25(火) 16:54:49 ID:???0 
福島県、新潟県、栃木県、群馬県の4県にまたがる日本最大の高層湿原、 
尾瀬。その一角に、一般人の立ち入りが制限され、 
数多くの噂が囁かれる地域があることをご存知だろうか。 

「未開の地」「守られた秘境」と称される湿原、「岩塔ヶ原(外田代)」である。 

その噂はこうだ。 
岩塔ヶ原には現代社会の人間とは全く交流を持たない「山岳民族」が、 
現在もひっそりと暮らしているというのだ。 

さらに彼らはこの地を聖地として崇め、半地下の大神殿が存在するというのである。 
また同地では、自分で自分の姿を目撃するドッペルゲンガーに遭遇するとも言われており、
複数の証言も存在するというから驚きだ。 

情報化社会といわれて久しい今日において、岩塔ヶ原に関する情報は不自然なほどに 
極めて少ない。にもかかわらず、今後もこの地に関する調査が行われる予定はないという。

謎に包まれ、何かが隠蔽されているようにも感じられる、岩塔ヶ原。 
その全貌が明かされる日は、訪れるのだろうか 
http://www.naimaga.jp/entry/1/17/0/333/ 


94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 02:08:34.22 ID:zuhlCvD20
145 : 名無しさん@十周年       [   ] 投稿日:2010/05/27(木) 00:56:42 ID:EL4JwUF00 [1/1回(PC)] 

 もう20年前くらいだけど、高校生のとき神田の古本屋で 
サンカに関する本を見つけて興味をもち、値段が高すぎたので 
1週間ほど通って立ち読みしたことがある。 

そのとき、読んだ内容で今でも覚えているのは、昭和32年に 
関東・甲信越のサンカ組織の最後の大集会が尾瀬のナントカという 
場所で行われ、定住サンカとまだ定住していないサンカの代表が 
千人くらい集まったと書かれてた。 

そこで、まだ定住していないでいたサンカも定住を決めたとあった。 

そして、昭和34年には九州のサンカの最後の大集会が熊本の阿蘇と 
宮崎県の五ヶ瀬町の境界にある馬見原で行われ、まだ定住していなかった 
サンカが五ヶ瀬川の上流に集落を作って定住したともあった。 
この集会には、関西からサンカの大親分も参加してたらしい。 

実際にサンカの集会を見た土地の老人が写真付きで本に出てた。 

この九州の地名ははっきり覚えていたので、8年前に出張の折、 
馬見原を探して行ってみた。 九州の背骨の山地の真ん中。 

ちなみに、福岡市の南側にある背振山地の名前は、 
サンカのテントを「セブリ」と呼ぶのが地名の由来と書かれてたのも 
覚えている。 


123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/27(金) 03:10:53.41 ID:TpwDti+hP
そもそもサンカって存在自体が限りなく捏造に近く
既存用語を故意に誤用したものだと暴かれてしまってるから 
日本の山奥に未だ隔絶された異文化がうにゃらら論はオカルトになっちゃった 

洞窟も公的に立入調査されてるけどこの先に行ったら
ガチで死ぬかもしれないってところは調査もされてないとか結構あるよ 

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とても面白いやりとりが繰り広げられていますね。


2ちゃんねるは時に、
不特定多数の集合知が極まり、
ネット上での情報検索も同時に行われることで、
大変な成果を上げてしまうことがあります。
大体の場合は、あまりよくない方向で「炎上」し「祭り」となりますが、
そのポテンシャル自体は、賞賛すべきものと思います。


このスレッドでも、過去の2ちゃんねるログが貼られていたりと、
その「ポテンシャル」を垣間見ることができます。


書き込みを整理してみましょう。


1
西丸震哉が本で紹介したという、尾瀬の岩塔ヶ原。
そこには「サンカの神殿」「岩の塔」があったという。

2
神田の古本屋で、以下の内容が書かれている本を読んだ。

昭和32年に 
関東・甲信越のサンカ組織の最後の大集会が
尾瀬の某所で行われ、
サンカの代表が千人くらい集まった。
定住していなかったサンカも定住を決めた。 

昭和34年には
九州のサンカの最後の大集会が
熊本の阿蘇と、宮崎県の五ヶ瀬町の境界にある馬見原で行われ、
定住していなかったサンカが
五ヶ瀬川の上流に集落を作って定住した。 
この集会には、関西のサンカの大親分も参加したらしい。
この集会を見た土地の老人が写真付きで紹介されていた。


2には、「サンカ」の集会が「尾瀬」で行われた、とあり、
1の「尾瀬の岩塔ヶ原」との関連が示唆されます。


わたくしは、1の内容も西丸震哉という人物も知りませんでしたし、
2で言及されている本も、わかりませんでした。


2の元の書き込み(「神田でサンカ本を立ち読み言説」と名付けます)は、
単独でTwitter上にも流れていて、
リツイートしたことがあります。


「神田でサンカ本を立ち読み言説」のみが単独で拡散されたのは、
記述者の文章が非常に興味深くまとめられているからでしょう。
「もう20年前くらいだけど
という冒頭の3行からして、興味をそそられてしまいます。


そして、昭和32年、34年という具体的な年や、
具体的な地名を覚えていて、記述し、
本には証言者の老人の写真が記載されていること、
8年前に現地に行ったという体験、
(ここでも具体的な年に言及。
また現地に行ったが、その具体的な報告がないのが逆にそそられてしまう)
最後に「背振山」に関するトリビアにまで言及。


この記述者、ただものではありませんね。
そう思うのはわたくしだけでしょうか。


そしてこの「神田でサンカ本を立ち読み言説」を
タイミングよく投下した名無しさんも、良い仕事をしました。


話が逸れてしまいましたが、
1
「尾瀬の岩塔ヶ原」
2
「『昭和32年尾瀬のフクロアライ』と『昭和34年馬見原のフクロアライ』について
言及している本」
このふたつについて、少し調べてみようと思います。
(「フクロアライ」とはサンカ用語で集会のことを言います)



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