先日、ブログに祖父の事を書いていて、あることを思い出して探し物をした。



祖父には本当に可愛がってもらった。


釣りや海水浴、孫たちを引き連れて祖父も楽しかったのだと思う。


しかし、中学、高校、大学と進む中で、祖父との時間はなくなっていった。

時折会う祖父は寂しそうだった。

私は昔のように接する事ができない自分に罪の意識を感じていた。

それでも何も出来なかったし、青春期の関心は他の事に移っていった。


社会人になって、数年して祖父は亡くなった。

大学を卒業する時に私はアメリカ旅行に行った。

サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ近くだったと思う。

店先の帽子に目が止まった。

後から知ったが、それはギリシャの漁師の帽子だった。



それを祖父への土産にした。

大層気にいったようで、藤沢に住んでいた祖父はいつもそれを被って海岸を散歩していたらしい。

母や伯母たちは何度もその話しをしていた。

亡くなった時、祖父の棺にはその帽子が乗せられていた。

帽子は祖父と共に火葬された。


誰にも言わなかったが、実は帽子はもう一つある。

色違いで同じ物をもう一つ買っていたのだ。

無くしていない自信があったので、納戸を捜索した。



四十年前のものだが、使っていないから普通に使える状態。


ディンギーが直ったら、この帽子を被って乗ります。



このディンギーを直すのも、原点は祖父にあるのだろうし、あれ程可愛がってもらいながら、帽子一つしか出来なかった心の痛みを忘れないように。