先日、大雪の日に大学ヨット部後輩のH君が帰宅難民となり私の家に泊まった。



H君は先月まで近所に住んでいた。

早くに奥様を亡くし、男手一つで一人娘を育て上げ、お嬢さんが巣立ったのを機に引っ越した。

引っ越した先は、我々のハーバーまで数分の海辺の古いマンション。

昔のヨット部合宿所もその地にあり、謂わば我々の聖地か源流か。


彼は、リタイアしたら海のある地で暮らすのが夢だったと言っていた。

孫ができたら海の遊びを教える、そんな爺いになりたいのだと。


大雪の中で、彼の思いを聞き、祖父を思い出した。

母方の祖父は楽しい人だった。


息子(伯父)と歯科医をしていたが、ある日、祖母も患者も伯父に任せて伊豆の網代に行ってしまった。

網代が歯科医不在になってしまったことを知り、釣り好きの祖父は診察器材一式丸ごと引っ越してしまった。


漁港の隣りの小さな一軒家、1階はガレージというか倉庫、2階は六畳と四畳半。

六畳は診察室、隣りの四畳半で暮らす。

私は、そこに行くのが大好きだった。

祖父から小遣いをもらって、菓子と釣り餌を買い、日がな一日堤防で魚釣り。

漁師町だから、患者さんも漁業関係者ばかりだったのだと思う。

やがて、祖父は隣り町の船大工に小さな漁船を作らせた。

5mくらいの木造船。

祖父の姓をつけた⚪︎⚪︎丸。



普段は漁師に貸して漁港に繋いであった。

その舟に乗せてもらい、釣りや篭漁に行った。

大きなイサキが夜行虫の明かりを纏いながら上がってくる様子、対岸の初島へ航たる時に初めて持たせてもらった舵の重さ…

思い出せばキリがない。


H君は正に、私の祖父のようになるのだろう。