保渡田城 群馬県高崎市保渡田町1330
北部公会堂に掲示している縄張り図
残念ながら、このお城は長野氏とは全く関係ない。
長野氏が武田信玄に滅ぼされた後、内藤昌豊がこの地を与えられて築いた城らしい。
公会堂や横の公園が本郭、東を流れる東谷川が天然の堀になっている。
井戸もしっかり残っている 籠城戦になっても問題ないな。
すぐ南にある古墳を矢倉台として利用していたとのこと。
微妙な顔した埴輪がポツンと置かれているのが微笑ましい。
最近は古墳好きが多いらしく、近くにある保渡田古墳群も結構にぎわっている。
古墳を見て何が面白いのか まぁ、自分も大概だが・・・
南に行くと堀跡 北に行くと土塁を確認することが出来る
土塁に登ってみたかったけど、民家の中にあるので入り込むことが出来なかった
保渡田城の北にある善龍寺の内藤塚。
この地を治めた内藤昌豊・内藤昌月の墓らしい。
よく考えると、武田四天王の一人・内藤昌豊のお墓が群馬にあるってすごいことじゃない
沼田や吾妻方面で真田氏を町おこしに利用しているけど、格で言えば内藤氏のほうが上だよ
箕郷町のみなさま 内藤おもてなし隊結成をご検討いただきたく
保渡田城 攻略する価値ありだな