昨日は長男の懇談会。

勝ち負けのある事案には無興味な長男、しかし強制的に参加させられると勝つことだけに執着してしまう。
勝てないことが悔しくてたまらない状態に陥るらしい。

先生は「出来る子」に近づくように指導しようと懸命だが、能力ほど十人十色であり平均化させることなんて不可能。

何故逆に、「出来る子」に「出来ない子」のフォローが出来るように指導しないのだろうか??
こっちの方がダントツに簡単であり、個別性を持った子供達の役割分担の意識の認識を促進するのではないだろうか??

脳力は必要のある人間には必然的に身につくものであり、詰め込んだところで活用するシーンを与えられない人生には不要の長物である。

思想は全く違う性質であり、身に着けるべくシーンは常時顕現しているので意識の開眼さえ起これば、脳の記憶とは違い永遠の体得感という記憶により魂に刻み込まれる。

先生曰く、「劉建君は血が上ると思いもよらない行動に打って出る」と事件的事例を話してくれた。勝った人の名前を黒板に書いていたら、自分の名前が無いので全部消しにかかったらしい(笑)
まだまだ「無視と諦めと許し」のマインドコントロール指標が身についていないようだ。(笑)

「無視と諦めと許し」がすぐに立ち上がる用になれば、それは本物の「勝ち=勝利」を収めたことになることをしっかり指導していこうと親としての子育ての1テーマを与えられた気がする。('◇')ゞ