自分の不出来や、迷いをあらわにして子供に接するとどうなるか?

「平穏」に過ごすのが1番!当り触り無く無難に過ごす。
コレがいかん!

自分が出来ないからと言って子供の可能性を摘んでしまうのは1番イカン!
コレが原因で人類も組織も何もかも劣化して行くのだ。子供達の人生はオマエの人生じゃないんだゾ!
くだらん人生擦り付けるな!

「こんなことさせたら将来どうなることか?ここは何事も無かったことに・・・。」と思って子供に接すると、コレ子供達不安で仕方ないんよね!
起る結果をどう捉え、どう判断するかは子供次第。

何故このような接し方をしてしまうのか?実は無意識の行動なのです。
まず、自分は大人だと誤認している。そして自分の不安が大きくなるのが怖いから。この子は絶対正しく受け入れてたり解決したりできない。と勝手な価値観(色眼鏡)で観てしまっているからなのだ。

無脳な人間というのは実は賢いんです。
賢いとは、自己防衛本能や問題回避能力に長けてるという意味で(笑)

この能力、2つとも他者の為に働く能力ではないの!自分の欲望を満足させるだけの効果しかないの!
他人を喜ばせる効果は全くなし!

今現在教師を務めている先生たちには、必然的に師としての能力や生き様を発現出来るように神様から機会が与えられています。
教師の目的とは何か?教壇に立つことで知らされる自己の人生のコンテンツはどのようなものなのか?

このあたりを今一度、社会情勢や外野からの批判などを無視して考えてみるのがよろしいかと思います。


神様が人間に与えられている苦境とは、決して解決できないレベルではありません。
そしてその解決はすごいモノにならなくていいのです。
神様からの啓示は極めて希薄であり、目で見えない精神的効果しか導きません。
コレが気付きであり、人間的成長をつかさどる真理なのです。