最近の日本は事件事故・災難災害のオンパレードですが、
被害にあわれた方の想いを察するととてもつらい気持ちが湧いてまいります。
しか~~し、
人は被害を受けるとすぐに相手に責任追及しがちですが、起こった事や始まった事はもう後戻りできない事をよく考えてみるべきです。
自分の人生を、裁判や責任追及する事に使うのは実は苦しみでしかありません。
もし相手に責任を取らすことが出来たところで、本当にそれが喜びとして感じれるでしょうか?
亡くなった人たちの為にとか、苦しんでいる子供の為にとか、二度と同じような思いをする人を出さない為にとか色々と理由をつけて立ち向かっていくことは立派であるような気がします。
これらの想いはひとえに、被害にあってない他者と、被害にあった自分の苦しみを共有させようとしているだけなのです。
それよりも、自分自身が相手と喜びを共有させないという手段をとる方が、幸福感の格差は確実に大きくなり、自らが相手に苦しみを分け与える以上に相手は不幸になっていくというものです。
「無視と諦めと許し」
老い先が短かろうが、手足が不自由だろうが、経済的に苦しかろうが、喜びを得るチャンスは誰にでも平等に与えられています。
そのチャンスは、「無視と諦めと許し」という悟りの境地により誰よりもはっきりと顕現してくるでしょう。
御主の姿は至上の歓喜ででもあり、罪に与えられる罰でもあります。
この御主【バガヴァーン】の絶対的存在を知ることだけが「救われる」という境地なのです。
ハレークリシュナ(^。^)y-.。o○
被害にあわれた方の想いを察するととてもつらい気持ちが湧いてまいります。
しか~~し、
人は被害を受けるとすぐに相手に責任追及しがちですが、起こった事や始まった事はもう後戻りできない事をよく考えてみるべきです。
自分の人生を、裁判や責任追及する事に使うのは実は苦しみでしかありません。
もし相手に責任を取らすことが出来たところで、本当にそれが喜びとして感じれるでしょうか?
亡くなった人たちの為にとか、苦しんでいる子供の為にとか、二度と同じような思いをする人を出さない為にとか色々と理由をつけて立ち向かっていくことは立派であるような気がします。
これらの想いはひとえに、被害にあってない他者と、被害にあった自分の苦しみを共有させようとしているだけなのです。
それよりも、自分自身が相手と喜びを共有させないという手段をとる方が、幸福感の格差は確実に大きくなり、自らが相手に苦しみを分け与える以上に相手は不幸になっていくというものです。
「無視と諦めと許し」
老い先が短かろうが、手足が不自由だろうが、経済的に苦しかろうが、喜びを得るチャンスは誰にでも平等に与えられています。
そのチャンスは、「無視と諦めと許し」という悟りの境地により誰よりもはっきりと顕現してくるでしょう。
御主の姿は至上の歓喜ででもあり、罪に与えられる罰でもあります。
この御主【バガヴァーン】の絶対的存在を知ることだけが「救われる」という境地なのです。
ハレークリシュナ(^。^)y-.。o○