前に工業用ポンプ製造会社の下請けで塗装の仕事 (官公庁等から注文を受けた水中ポンプ類の塗装をする。親会社と同じ敷地内)していたことがある

 

10年7か月ほど。

 

私が入った頃(1992年)は、バブル景気が弾けたころだったらしいが、

 

1999年辺りまでは下請けに来る仕事は普通にあった

 

私の場合はこの頃はボーナスが12万ぐらいは貰えてた。

 

これでも十分新幹線前1人旅が出来た(日帰りで岡山、京都、泊りで熊本)から良かったよ。


 

 

しかし、翌年の2000年辺りから仕事はあったものの、ダウンボーナスが減っていったガーン

 
ダウン1~2万ずつガーンガーン
 
そして2002年辺りで極端に仕事が減りダウン、ある日から出勤しても丸1日仕事がなくバイバイ
 
倉庫の塗料の在庫管理(倉庫が小さいので2時間も掛からない)毎日やることに
 
これを毎日8時間、倉庫で時間を潰すガーンという物凄く暇な日々を送っていった口笛
 
 
そして翌年の2003年の3月に社長にみんな(社長を除くと僅か2人)が呼ばれて会社を解散すると告げられたガーンガーンガーン
 
それから1か月は少しは仕事があったものの、結局は4月末で下請け会社は解散バイバイした。
※1人は親会社にそのまま異動して暫くは働けたみたい。数か月後にJRの工場近くのパーキングに異動した人らしき車はあったけど。車のナンバーはそもそも確認してない。
 
 
 
解散当日は市内の料亭(今は無い)でふぐ刺しとかの料理を食べ、最後の給料を受け取った
 
それから翌年2004年の7月までは仕事が決まらなかったガーン
 
散々苦労しました。もちろん、これを書いている今も苦労してますが…えーん
 
今、フルタイムで会社に来て8時間も何もせずに過ごしてる人なんていないだろうな~ショボーン
 
 
そもそも時間を潰すぐらいなら自宅待機した方がよかった気がするけど、
 
そんな発想は当時の社長は無かったのかも。
 
いつ上から仕事が舞い込んで来るかわからんから。キョロキョロ
 
 
もう、こういう暇は二度と味わいたくない…プンプン
 
安定した職に就きたいものですわショボーン

 

追伸

親会社は翌年2004年に経営破綻をして、同業者の会社に事業を譲渡されました。