下野国那須原の殺生石は、玄翁和尚により打たれて砕け、越後・美作・豊後の三国に飛び散ったという。
美作国に落下したと伝わるものが、岡山県の中央に位置する吉備中央町の土井神社に祀られている。
が、とにかく場所が分かり難い。
目印はおふくの方隠棲地碑。
すぐそばに腰痛地蔵尊横山様。
この奥、行けるのか?不安的中、急峻、狭隘、離合困難、手に汗握る。
スリル満点で見落としそうな丁字路。
→土井神社・玉藻霊石
↑三所神社
林道の様相だが、轍も確認できた。
自動車で進入可能。この判断が甘かった。車幅ギリギリ、落ちたら死ぬ。
バック不可、往き詰まったら自動車を捨てる覚悟で前進あるのみ。
結果、捨てずに済んだが、自動車はおふくの方隠棲地碑の前に置いて行こう。
山の下からの参道は道なき道。
足元に黒い小さい蛇。
高い樹木に覆われ昼でもうす暗い参道。
狛犬さんがお出迎え。
阿
吽
野鳥の鳴き声が響く静寂に覆われた境内。
後冷泉天皇の御世、天喜年間(1053-1058年)の創建と伝わる。
文亀年間(1501-1504年)に作州高田城主三浦貞兼が玉藻明神を三浦家の鎮守として当神社に勧請して配祀。
天正六(1578)年に虎倉城主伊賀氏の家老土井次郎左衛門の妻が社殿を造営。後に玉藻明神と称えて加茂郷の鎮守とした。
明治二(1869)年に土井神社と旧号に戻し、明治五(1872)年に美保関から事代主神・三穂津姫神を勧請して配祀した。
玉藻霊石は御本殿の裏。
ちらりと見えたでござる。
おる。
おわかりいただけただろうか?
特に照明などがあるわけではないのに、玉藻霊石の周辺だけ光っている。
玉・・・
そうです、こちらが玉藻霊石。
伝 土井神社・玉藻霊石(殺生石の由来)
文亀三年(一五〇三年)勝山三浦家家老三浦貞兼が、三浦氏守護神玉藻稲荷大明神の分霊石(殺生石)を下土井村鶴峰山に祭祀する。
伊賀氏家老土井治良右衛門の妻女(三浦市娘)が社殿を建立し守護神玉藻宮として深く信仰する。
後、永禄八年(一五六五年)勝山高田城落城の時、奥方おふくの方が一子桃寿丸を連れて下土井村土井の館に隠棲し、この玉藻宮に身の安泰を深く心願、そのご利益をあらたかにして亀山城(沼城)城主宇喜多直家に認められ再嫁し、宇喜多秀家を授かる。
その後、玉藻宮は土井神社として改めて里人から厚く信仰されている。
(土井神社古文書及び勝山町史など)
以上、由来書き看板全文転載。
伝殺生石の由来
時の帝近衛天皇が重い病に伏され祈禱すると「これは愛妃の玉藻の御前の仕業であり、妃は白面金毛九尾の妖孤の化身である。」と正体を見破ったが、巨岩に化け二百年も鳴動しながら抵抗した。
能登国総持寺の名僧玄翁和尚が大喝して鉄槌で三度打つと、岩は三つに砕けて 越後、豊後、美作 の三高田に落下した。その石を地下一丈六尺の地下に埋めてその上に廟を建て「高田大明神」として祀り高田城三浦家の総鎮守としました。
これが玉藻稲荷であり、現在の玉雲大権現・化生寺です。
(勝山玉雲大権現・化生寺石碑記など)
以上、由来書き看板全文転載。
現地では気づかなかったが、金色に光っている。
この怪異は、金毛九尾の狐の仕業!?
ちょっと謎すぎる殺生石の欠片は、岡山の山奥でひっそりと今日もキミを待っている。
◆概要
名称:土井神社
鎮座地:岡山県加賀郡吉備中央町下土井1746
主祭神:玉藻明神
相殿神:事代主神、三穂津姫神
御神徳:
摂末社:
古蹟:
創建:
祭礼日:夏祭10月第4日曜日9時|夏越祓8月19日17時
ホームページ:
駐車場:
●アクセス
自動車:岡山自動車道賀陽ICより20分
◆参考文献