倭文神社の随神門から拝殿と続く参道の脇に怪しき道あり。

 

 

標に伯耆一ノ宮経塚の表記が見えた。

 

 

急な階段の上り、狭隘な土道を進んだ先に看板有り。

 

 

そこは「元日の朝に金の鶏が鳴く」という金鶏伝説のあった場所。

 

 

塚の頂の囲んだ柵の内側に穴。

 

 

古くから伯耆一ノ宮倭文神社の御祭神・下照姫命の墳墓と言い伝えられていたが、1915(大正四)年の発掘の結果、経塚であることが判明。

 

平安時代後期に広がった末法思想のもと、1103(康和五)年に築かれたもの。

 

経塚の中央部から平石で組まれた石槨が発見され、その中には経典を納めた銅製の経筒や仏像、短刀、瑠璃玉などが納められていた。

 

 

経筒には文字が刻まれており、僧京尊が弥勒仏の出現に備え功徳を施すことにより自他共に

成仏するようにという願いなどが記されていた。

 

出土品はいずれも1953(昭和二八)年に国宝に指定され、現在は東京国立博物館で保管されている。

 

〽行きはよいよい、帰りは滑る

 

 

雨上がりは足元注意!!

 

国指定史跡 -昭和十年十二月二十四日指定-

伯耆一ノ宮経塚

埋納年月日    平安時代後期 1103(康和五)年10月3日

発掘年月日    1915(大正四)年12月11日

史跡指定年月日 1935(昭和一〇)年12月24日

構造(石棺)

 長方形で長さ1.2m、幅0.9m、四方は約5㎝程度の輝石安山岩で構成されている。

出土品

一、銅経筒(平安時代)

一、金銅観世音菩薩立像(白鳳時代)

一、銅造千手観音菩薩立像(平安時代)

一、銅板線刻弥勒菩薩立像(平安時代)

一、その他 銅鏡 二面、檜扇残片 一括、瑠璃玉 一括、短刀刀子残闕 一括、銅銭 二枚、漆器残片 一括

 

◇概要

名称:伯耆一ノ宮経塚

所在地:鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754 倭文神社境内

文化財史跡区分:国指定史跡(昭和10年12月24日指定)

駐車場:普通車20台、バス2台

●アクセス

自動車:米子自動車道湯原ICより80分|中国自動車道院庄ICより100分|山陰道はわいICより10分

鉄道:JR西日本山陰本線松崎駅下車約3km徒歩35分|自動車5分