中国地方の中心部に位置している三次市、その中心地の三次町は中国山地と吉備高原の間に位置する標高150~250メートルの三次盆地に立地。江の川の支流が三次盆地で合流するため、河港として栄え、古くから山陰-山陽を結ぶ文化・経済・交通の要衝の地として機能してきた。現在でも、中国自動車道、尾道自動車道、松江自動車道、JR西日本・芸備線、同・三江線(※2018年4月1日廃線)など、同市を中心に放射状の交通網が整備されている。

 

同町はかつて「五日市」とも呼ばれ、江戸時代に広島藩の支藩、三次藩の城下町だった時期もあり、市街地の旧街道には卯建や袖壁のある商家が建ち並ぶ。

 

 

 

石畳が敷かれた延長1.4キロメートルの商店街は「歴みち石畳通り」と呼ばれ、散策などが楽しめる。また、古くから続く老舗に加えて、空き店舗対策としてチャレンジショップ制度などを利用した活性化が図られている。

 

 

天文年間(1532‐1555年)創建の「三勝寺」は、寛永年間(1624-1644年)に現在地へ移建された三次の古寺名刹。

 

 

三次は江戸時代初期から中期にかけては藩主が住まう城下町であった。このため屋敷を防衛するための鉤の手や丁字路などが現存している。

 

 

三勝寺の前の道は鉤の手に曲がっていることが確認できる。

 

この周辺の上市・栄町通り沿いでは、卯建や袖壁のある商家などがが建ち並ぶ。

 

 

 

旧酒造場「雪心本店」を改装した三次地域交流館は2016(平成二八)年オープン。同じ建物内にある人形師・辻村寿三郎のアトリエの雰囲気を再現した木綿兎(もめんと)

 

 

石畳通りと広島県道434号和知三次線が接する丁字路の一角に建つモダンな薬局。

 

 

県道434号を少し東に歩くと丁字路の突き当り正面にゑびす神社が鎮座。

 

 

親指妖怪!?

 

 

「整体店ジャダ」の看板。

 

 

三次町内には江戸時代の生活道「小路」が13残っており、そのうち9つの小路については石畳舗装が施されている。

 

 

三次町本通りから西城川へと続く市道三次95号線は、畠中家の屋敷があったことから「畠中小路」と呼ばれている。

 

 

1904(明治三七)年創業の老舗造り酒屋「白蘭酒造」の前で、まち歩きガイドツアーと離合。

 

 

市道沿いに建つ「もののけ便所」。

 

 

市道を挟んで斜交いに立地する地元スーパー「三次フードセンター」。

 

 

三次フードセンター隣のコンクリート造2階建のルネッサンス様式の建物は、壁面は石積み風、腰周りには花崗岩を貼ったルスティカ積み、1924(大正一三)年、広島県農工銀行として建設されたもの。

 

 

その後、日本勧業銀行、広島銀行旧三次支店として使用されたものを再利用して入居する和洋菓子店「風季舎昌平本家 三次本通り店」。

 


「三上たばこ店」建物脇をぶち抜いて走る「前田小路」は、町内屈指の資産家・前田万助の土地や借家があったことから名付けられた。

 

 

前田家の私道が小路になったもので、明治時代に造られた比較的新しい小路。

 

 

その佇まいはどことなく鳥取県米子市の米子本通り商店街にある「青戸洋服店」を想起させる。

 

 

「榊酒店」の建物を再利用した訪問介護と居宅介護支援事業所「NPO法人とんからり」。

 

「三次歴史民俗資料館」は、1927(昭和二)年に建設された鉄筋コンクリート造2階建の旧三次銀行本店をリノベーションしたもので、国指定登録有形文化財。

 

 

三次銀行は1921(大正一〇)年12月30日設立、翌22(大正一一)年3月1日開業。45(昭和二〇)年5月(旧)藝備銀行など3行と合併して(新)藝備銀行として発足。50(昭和二五)年廣島銀行に名称変更。88(昭和六三)年7月広島銀行に商号変更している。

 

旧本店の建物は藝備銀行中町支店を経て、1951(昭和二六)年に三次郵便局庁舎として使用開始、77(昭和五二)年の移転による廃止まで使用された。

 

 

79(昭和五四)年に三次市に払下げられ、翌80(昭和五五)年に三次市歴史民俗資料館が開館。

 

 

2013(平成二五)年に改修され、1階に「辻村寿三郎人形館」が併設された。

 

中国新聞三次支局の北側を走る市道85号線は、水産物売買の市場があったことから「魚ノ棚小路」と呼ばれている。

 

 

呉服店や薬種問屋などの老舗が建ち並び、卯建や袖壁が見られる。

 

 

1642(寛永一九)年建立の三次の古寺名刹「照林坊(しょうりんぼう)」。

 

 

住吉神社が見えたらその先が西城川。

 

 

川向うの三次市十日町には古い町並みに加えて、三次駅やショッピングセンターなどが立地する市の都心。

 

 

元々は別の自治体だったが、三次町及びほか六か村と対等合併し1954(昭和二九)年3月31日初代三次市が発足した。

 

石畳が敷かれきれいに整備が為されたみよし本通り商店街。

 

 

何かが足りないと感じた。その何かとは、妖怪のブロンズ像か!?