瀬戸内海と下津井の町並みを南側に見下ろす標高89メートルの丘陵上にある下津井城は、連郭式の平山城で、西の丸、二の丸、本丸、三の丸、中の丸、東の丸が横一列、約650メートルに亘って配置されている。

 

 

西の丸跡。

 

 

眺望絶佳。

 

 

眼下に鉄道の車両基地のようなものが見える。

 

西の丸跡から土橋を経て二の丸跡に至る。

 

 

本丸には小さい天守があり、城の北側の丘陵には侍屋敷が配されていたという。

 

 

江戸時代初期に廃城となったため、現在、遺構として石垣、土塁が残っているのみ。

 

三の丸南面石垣。

 

 

三の丸跡。

 

 

三の丸跡と中出丸跡の間には深い掘割が設けられている。

 

 

木々が茂っていて少し見難いが、南に瀬戸大橋を見ることができる。

 

 

眼下に見える浄山の頂上に鎮座する祇園神社は、源平合戦の時代の城跡下津井古城で、神社の北側に石垣が残る。

 

 

当城跡は、下津井の桜の名所のひとつ。

 

 

■年譜

・文禄年間(1592‐96年)宇喜多秀家が築城、城主として浮田家久が入城。

・1603(慶長八)年池田忠継が岡山藩主となり、赤穂城代池田長政を普請奉行にして改修を実施。

・1607年(慶長一二)年改修完了。長政、駿府城からの帰途、病没。

・1609(慶長一四)年池田之助の長男で輝政の甥、由之が利神城より城代として転出、引き続き三万二千石を拝領。

・1613(慶長一八)年輝政死去、由之明石城に移る。

・1632(寛永九)年由之の子で米子城代で三万二千石取りの出羽守由成が、岡山藩・鳥取藩国替えに伴い城代となる。

・1639(寛永一六)年一国一城令により廃城。なお、由成は岡山藩家老として天城に陣屋を構え移る。

 

◇データー

名称:下津井城

所在地:〒711‐0926 岡山県倉敷市下津井吹上

城地種類:連郭式平山城

築城年代:永禄年間(1592~96年)頃

築城主:宇喜多秀家

文化財史跡区分:岡山県指定史跡※1968(昭和四三)年7月19日

天守の現況・形態:解体・不明

アクセス:JR西日本瀬戸大橋線児島駅より下電バス下津井線下津井下車徒歩10分

駐車場:有