今夏の休暇で帰省した際、「そうだ、ことでん沖松島行こう。」と思った動機は、Googleマップで見つけた不思議な構造物。

 

 

詰田川と御坊川の合流地点に見える「Γ(ガンマ)」。

 

 

ことでん沖松島側から見るとシートパイル(鋼矢板)で土留めをしており、一見すると護岸工事。

 

 

御坊川に架かる沖松島橋を渡って南側から見ると、崩れかけた土手の様相。

 

 

詰田川と御坊川が交わるこの場所は、古来よりの水上交通の要衝であり難所で「三甕が渕(みかめがふち)」と呼ばれる

 

 

夏の干潮時などは、極めてドブ臭い。

 

三甕渕の名称は、景行天皇の皇子神櫛王が讃岐の国司として赴任した際、船が嵐でこの場所に流され、難破しそうになったが、神櫛王は宝の甕3つを海中に沈め、荒れ狂う海を鎮め、 無事に上陸したという伝承に由来する。「デンデン渕」の別名もある。

 

 

詰田川東岸に浪切り不動明王と併せての案内板が設置されているが、なぜこのような形で残ったかの由来や解説などは見られない。

 

土手の底に神櫛王が乗り捨てた小型スクーター。

 

 

では、ない。

 

◆史跡概要

名称:三甕が渕

所在地:高松市木太町4区2154-1 洲端ポンプ場近く

アクセス:高松琴平電気鉄道志度線沖松島駅下車徒歩5分

 

◆参考資料

文化財学習会 ふるさと探訪「木太町の海中散歩~古・高松湾を巡る~」 PDF