米子と境港を結ぶ江戸時代の三本の幹線道路「内浜往来」「境往来」「外浜往来」、国道431号が並行して整備されるまでは両市をつなぐ主要道でした。現在「外浜往来」は米子と境港を結ぶ路線バスの運行ルートになっており、ゴールデンウィークやお盆などR431渋滞時は抜け道として利用。その際に前々から気になっていた米子市立大篠津小学校前に立地する「和田御崎神社」(※「崎」は旧字体で右上が立)

 

 

永禄年間(1558~1570年)戦国武将尼子氏家臣の安田氏と武田の残党井田氏が共に農民となりこの地を開発。1659(万治二)年出雲国日御碕神社の分霊を勧進。

 

1679(延宝七)年、現在の社地へに移転。

 

明治の初年「和田御崎大明神」から「和田御崎神社」に改称。

 

 

氏子区域は大篠津と下和田地区の一部。

 

2000年10月6日の昼すぎに発生した平成12年鳥取県西部地震で倒壊した二の鳥居の笠石を社号碑に再利用しており、当地で起こった災害を長く後世に伝える意味を込めています。

 

 

二の鳥居を潜った先で参道が二つ分かれ、その後併走しているのは、御本殿に稲荷殿が併設されているから。

 

 

社殿の建立は安政五年。

 

 

この石灯籠はその時に寄進されたもののようです。

 

 

稲荷殿へと続く参道には朱塗りの鳥居が立ち並び、赤手ぬぐいをかぶった大小様々な狛狐さん(浜のことばで「赤手ねご かべった えなあさん」)たちがお出迎え。

 

 

御本殿裏にも数十体の狛狐が御鎮座。

 

 

境内奥には、約2,500平米もの原生林が鬱蒼と生い茂り、「元宮さん」と呼ばれる旧社地が現存。地元では「御崎の森」と親しまれ、米子市が天然記念物に指定。

 

 

この元宮社叢は、沖積層地帯に現存する貴重な自然林で、御崎川の源となる清水の湧き出る泉があり、郷土の古代信仰と近世の弓ヶ浜開拓史とのかかわりが深い。

 

◆概要

名称:和田御崎神社

鎮座地:鳥取県米子市大篠津町2079

御祭神:速須佐之男命、大己貴命(大国主命)、稲田姫命、稲背脛命、豊受姫命

社殿建築様式:春日造変形

社殿規模:6尺×8尺

建立年:1858(安政五)年

祭礼日:例大祭4月29日、夏越しの祭り7月14日

駐車場:有

ホームページ:和田御崎神社

アクセス

自動車:米子方面より国道431号を大篠津町交差点左折、二つ目の信号左折約150メートル

バス:日ノ丸バス外浜線で和田御崎神社前下車すぐ

鉄道:JR境線・大篠津町駅下車徒歩5分

 

◆参考資料

「米子の神社~米子市指定有形文化財を中心に~(平成二十九年度米子市立山陰歴史館企画展出品資料図録) 笹尾千恵子(米子市学芸員) 編集 米子市立山陰歴史館 発行