前衛芸術家の草間彌生氏と聞いてまず連想するのが、直島に設置されたドット柄のかぼちゃ。

 

 

直島を中心とする直島諸島は、香川県高松港の北約13キロメートル、岡山県宇野港の南3キロメートルの瀬戸内海に位置し、大小27の島々で構成されている。

 

直島は周囲27.8キロメートル、面積7.80平方キロメートル、平地は少なく標高123メートルの地蔵山を中心に100メートル前後の山が連なる地形。

 

1917(大正六)年に島の北端で操業を開始した三菱合資会社(現:三菱マテリアル)の銅精錬所の煙害で島々の木々がほとんど枯れて禿山となってしまった反面、三菱の企業城下町として急速に発展。雇用が確保されたことにより人口流出の歯止めや、豊富な税収により県下有数の富裕な自治体となる。

 

 

50年ほど前の1969(昭和四四)年の新精錬所の稼働を境に、金属精錬事業の高度化と合理化が実施されて以降、従業員数や島の人口は減少に転じている。また、銅の国際価格の低迷により精錬事業そのものが低迷、金属精錬事業以外のリサイクル事業などに活路を見出すことなる。

 

1990年代、国内最悪の産廃不法投棄事件となった小豆郡土庄町を舞台とした「豊島事件」では、91万トン超、61万立方メートル強もの産廃を公費727億円を投下して後始末。その処理に当たっては、専用車両と専用運搬船を用いて直島へ移送し同社施設内で中間処理と再資源化を図るリサイクル事業が実施される。

 

運搬は国内総合物流最大手の日本通運が担当。特別管理産業廃棄物運搬船「太陽」と廃棄物専用コンテナとその運搬車両を開発。

 

 

2003(平成一五)年3月下旬、運搬車両積込のため着岸した時の様子

 

 

なお、2003(平成一五)年より開始された豊島産廃の直島移送事業は、2017(平成二九)年3月末で終了している。

 

島の南端は風光明媚でリゾート地としての開発が1960年代(昭和三〇年代半ば)から始まっている。しかし、国立公園内という制約から大規模な開発ができず、オイルショック後は集客が低迷。

 

 

1980年代(昭和五〇年代半ば)になると福武書店(現:ベネッセコーポレーション)の創業者で美術品の蒐集家としても著名な福武哲彦氏と同町長の間で文化芸術の島にすることで意見が一致。氏の急逝の後、後を継いだ長男・總一郎氏が1990年代(平成)初めから企業メセナ活動として建築家・安藤忠雄プロデュースによる宿泊施設やミュージアムを次々にオープン。

 

 

並行して町屋プロジェクトなども進め、国内外から「現代美術の聖地」と呼ばれるに至り、2010(平成二二)年「瀬戸内国際芸術祭2010」が開かれた。

 

現代アートの島として人気が沸く直島を訪れたのは過去二度、一度目は2003(平成一五)年6月下旬、二度目は2017(平成二九)年8月初旬。

 

03年に訪れた時は、ベネッセハウス・ミュージアムなどは開館していたものの、地底美術館は建設中で現代アートの島というイメージは皆無。訪れた目的は、一度も上陸したことがなかったからという単純な理由。加えて、寂れた島の堪能。

 

03年6月下旬、高松港より初代なおしまに乗船して、直島・宮浦港上陸。

 

 

港には簡素な待合室と四国汽船本社ビルがあるのみ。

 

 

待合所や観光案内所、カフェや売店などが入居する「海の駅なおしま」は、鉄骨造一部鉄筋コンクリート造平屋建で06(平成一八)年完成。

 

 

03年当時、港の南側は絶賛埋め立て工事中。

 

 

埋立地に海の駅なおしまが建設され、06年に芝生広場へ草間彌生氏によって制作された「赤かぼちゃ(1994)」が屋外展示された。

 

 

直島03年の記録。

 

島の幹線道の交点に立つ赤子を抱く女性像。

 

 

岡山の看護学校を卒業後、1920(大正九)年に直島の精錬所病院に一時勤務。劣悪な出産環境に驚き、産婆として生きる道を選び、1965(昭和四〇)年に亡くなるまでに取り上げた赤ん坊は6千人という「堀内はるよ顕彰像」。

 

公園動物たち。

 

 

おや、ピンクピンタロウの足元にカバンの忘れ物が。

 

 

あれから14年、落とし主に返されたのだろうか。

 

四国汽船株式会社、直島町宮浦笠町荘。

 

 

社員寮か保養所か社長の別荘か。

 

資生堂チェインストア。

 

 

直島タ〇シマヤ。

 

近代的なドア付き横穴式住居。

 

 

主は、神か仏か仙人か。

 

両潜り戸付薬医門。

 

 

家格の高い名家の跡か。

 

町役場は和洋折衷の帝冠様式。

 

 

設計は、忠太か利器か五一か。

 

保元の乱に敗れて讃岐に配流となった崇徳上皇が三年間過ごしたとされる直島。島民との関係は良好だったと伝わり、島内各所に縁の地が点在。

 

 

崇徳天皇宮の鳥居の額束の裏に妖怪。

 

直島での生活に必要な水は、海底送水管を通じて岡山県玉野市から供給されていますが、島の中央南よりにダムもあります。

 

 

この他にため池もいくつか見られます。

 

 

灌漑あるいは防火用水か。

 

高松-直島(宮浦)を25分、宇野-直島(宮浦)を15分で結ぶ青い鳥。

 

 

後年、量産された四国汽船高速船団のプロトタイプ「ブルーバード」。常石林業建設建造、2002(平成一四)年5月就航。19総トン、航海速力28.5ノット、旅客定員79名。

 

2013年小豆島豊島フェリーに売却され「マーレてしま」として就航。

 

 

2016年小豆島急行フェリーに移籍。

 

 

現代美術の聖地はあの頃から既にはじまっていた。が、全く別の所しか見ていなかった。そして14年を経て、訪れて見たものは・・・。