2006年(平成一八)年3月末時点で完成している高松市内にある建造物(建築物・土木構造物)の中から高松商工会議所建設部会が選定した「高松建造物再発見50選」より漏れた建造物を個人的に拾遺したものを番外として順不同で紹介。なお、同所同部会とは全く関係ない非公式なものであることをご了承ください。

 

番外8.高松赤十字病院

番町4‐1‐3

 

日本赤十字社香川支部が設置する高松赤十字病院は、1907(明治四〇)年6月に現在地で開院しました。

37(昭和一二)年10月に善通寺陸軍病院赤十字病院、42(昭和一七)年10月には呉海軍病院高松赤十字病院へそれぞれ改称しています。翌43(昭和一八)年、高松赤十字病院に改称し現在に至っています。太平洋戦争末期の45年7月4日、米軍により実施された高松大空襲により全焼ました。

46年(昭和二一)年7月に戦災復旧により病棟再構築しており、この際に敷地の一部が香川県に売却されました。病院の南側は香川県庁舎、北側は高松高校の校地拡大に供与されました。

 

 

第3次医療機関に指定されている日本赤十字病院は、緊急医療最後の砦を担っており、1都1道2府40県に設置されています。

 

正式名称は「地名+赤十字病院」ですが、どこの地域でも地元での呼称は「日赤」。

 

 

ことでん瓦町駅から西へと延びる菊地寛通りの突き当りに立地する高松赤十字病院。

 

 

同院の南側に隣接するのが香川県庁、北側に隣接しているのが県立高松高校。

 


なお、旧病院の竣工年や構造、設計者や施工者などの詳細は不明です。

 

※2016年12月~17年1月作成記事のため、記載情報につきましては、現在と異なる場合があります。