毎度ご来店くださいましてまことにありがとうございます。
東洋文化研究家のアレックス・カー氏は景観保全活動や講演、文化コンサルタントとして広く知られています。近年、徳島県の奥祖谷で古民家を改装した宿泊施設のプロデュースでも全国的な知名度を誇ります。近著『ニッポン景観論』(集英社発行)では、大多数の日本人が良しとする、近代的で文化的な街づくりを世界的な視野で痛烈な皮肉を交えて容赦なく批評。ご一読をお薦めします。
氏の講演を聴講する前に宇多津古街を散策して、県内に市井の人たちが日常生活を営む古い街並みが残っていることに新鮮な驚きを得ました。
宇多津古街は、概ね県道33号高松善通寺線の南側、香川県道194号飯野宇多津線と大束川に挟まれたおおよそ7~800m四方の範囲です。
県道33号の1本南を東西に走るメインストリートは宇夫階神社の鳥居前で東に向かってV字に道が分かれています。
左を進むと倉の館三角邸へと至ります。右に進むと西光寺、大束川新町水門に至ります。
古街は一社九か寺の周囲に形成された街で、宇夫階神社の鳥居から正面に延びる通りの南側に八つのお寺が狭い範囲で点在しています。
香川県道33号町に隣接する役場の東側、大束川を遡上。新町水門、西光寺前から宇夫階神社までを歩いてみましょう。
正面が講演会場の保健センター、右が町役場、左が米蔵をリノベーションしたイベント会場「町衆の館こめっせ宇多津」。
町役場の東側を流れる大束川。
道沿いにある荒神社と祠群。
新町水門の奥に西光寺。
古くは県道33号の辺りが海岸線でしたので、西光寺前から宇夫階神社へと延びる道がかつてのメインストリートだったのでしょう。
郷照寺の門口にある閻魔堂には、「四国一のえんま大王像」と謳う看板。なお、堂内の様子は、あすご紹介します。
第78番札所郷照寺は、閻魔堂を南に入った高台にあります。
その由来は遡ることおよそ1300年前、奈良時代の725(神亀二)年に行基菩薩により開基し、当時は「道場時」と称しました。815(弘仁六)年のは弘法大師がこの地を訪れ、自作の尊像を刻み厄除けの誓願を為し、密教の聖地として栄えたとと伝わります。後に時宗の開祖一遍上人が全国遊行の折、当寺に逗留し浄土の教えを広め、多くの民衆の帰依を受けました。その際に出来た法縁にてこの寺は真言宗と時宗の両宗にわたる寺として、四国札所中唯一の霊場となりました。その後、守護大名や藩の庇護を得て大いに栄え、手厚く保護されました。
高台に立つ当寺は、札所で唯一境内から瀬戸大橋が眺望できます。
その眺めの素晴らしさから「さぬき百景」にも指定されています。
閻魔堂へと戻り、西へと進むとすぐの辻に石の門のようなものが立っています。
御堂には地蔵尊が安置されています。御堂の正面は、高橋地蔵餅本舗。
地元の人々や巡礼のお遍路さんに人気の老舗和菓子店で、創業は明治時代後期。
なお、カーブミラーに映る古民家を写すのならこの辻。
なに気に古民家の側面を見てみると!!
細かい鏝絵細工が施されています。
赤い郵便ポストが立っているのは本妙寺の門口。
ここまで来ると、緩いカーブの先に宇夫階神社が見えてきました。
神社までわずか100メートルあまりの道を行ったり戻ったり、上を見たり下を見たりで中々進みません(苦笑)
なぜかパンダいてるし・・・(笑)
民家と民家の間、奥まった所に神社。
笛とか吹いたら地下迷宮へと通じる階段が出現しそうな雰囲気を醸し出しています。こんなアホな妄想をしているせいで遅々として進まない足取り(汗)
ようやく宇夫階神社へ到着。
由緒は日本武尊の頃にまで遡り、平城天皇の御代(806~9年)に当地に遷座。清和天皇の御代(858~76年)に神階従五位下を、宇多天皇の御代(887~97年)には従五位上に昇叙されています。
宇夫階神社前を北に進むと香川県道33号に行き当たります。
先ほどのパンダといい、この看板といいセンスの共有は、実に難しいな。
本日はご来店くださいましてまことにありがとうございました。
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