毎度ご来店くださいましてまことにありがとうございます。



昼は朝廷の官吏として働きながら、夜になると六道珍皇寺の本堂裏庭にある井戸から冥界へ下り、閻魔大王に仕えた男がいます。


その男の名は、小野篁。


身長は六尺二寸(188cm)の大男で、弓馬に秀でていたという。武芸のみならず文芸にも優れ、漢詩においては“日本の白楽天”と称されたほどの天才詩人でした。書においても、草隷の巧みさは王羲之父子に匹敵し、当時天下無双とされていました。


また律令法にも詳しく、政務能力も優れており、いまでいう警察庁次長に当たる弾正大弼(だんじょうだいひつ)や、や行政を監察する勘解由使長官などを務めました。


反骨精神が強く、嵯峨上皇の逆鱗に触れ、隠岐に配流されたこともあります。しかし群を抜いて優秀であったことから、のちに中央政界へと復帰します。またたいへんに人情に厚く、非常に親孝行であったことも知られています。政府高官でありながら、私腹を肥やすことなく皆に施しをし、生涯清貧で通したと伝わります。


篁が地獄で閻魔庁第三の冥官として仕えていたという話は、仏教説話集『今昔物語集』「小野篁、情に依り西三条の大臣を助くる語」に見られます。


西三条大臣と呼ばれた藤原良相(ふじわらのよしみ)が病を得て死去。三途の川を渡り、冥界に入った良相は、獄卒によって、閻魔大王の前に引き据えられた。生前に罪を犯した覚えはないが、がくがくと膝が震え恐れ慄いていると、閻魔大王の脇に並ぶ冥官のひとりが前に進み出て、「この人物は非常に高潔であるので、私に免じ、生き返らせて欲しい」と執り成したといいます。良相がその冥官の顔をよくよく見ると、廟堂でいつも顔を合わせている、参議の小野篁であったといいます。閻魔大王はよほど篁を信頼していると見え、獄卒たちに命じて良相を再び現世に蘇らせたといいます。


藤原良相は、藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の五男として生まれました。その人物像は、幼少期から度量が広く傑出しており、若くして大学で学び、その弁舌は才気に溢れていたと伝わります。生活も質素で肉食をせず、粗食で終生通したといいます。また、三十代で妻を亡くした後、念仏に没頭して欲望を振り払い、後妻を娶ることはありませんでした。自己に厳しい半面、信仰に厚く、施しを積極的に行ない、周囲の人望も厚かったため、兄の良房からは常に警戒される存在であったと伝わります。


小野篁と藤原良相、どことなく人物像が似ているような気がします。


篁と良相の接点は、篁が学生であったころ罪を犯した際に、弁護をしたのが良相だったといいます。


篁が夜だけ、閻魔大王に使える冥官としてこの世とあの世を行き来していた、俄かには信じがたい奇怪な話です。


しかしそういった記載は、『今昔物語集』以外に『江談抄』などにもあり、平安末期には篁が「閻魔庁第二冥官」であったという伝説が定着していたことがうかがえます。また、江戸時代に編纂された国文学・国史を主とする一大叢書の『群書類従』の「小野系図」にも、「閻魔第三冥官」と記されています。



篁が夜毎、井戸の底に下り冥界へと入ったとされる井戸がある六道珍皇寺は、西福寺の前に立つ「六道之辻」石柱から松原通を約100m東です。


六道珍皇寺 2006.01.29


朱色の門前に「小野篁卿𦾔跡(きゅう)跡」の石柱と「六道の辻」の石碑が立っています(※「𦾔」は「旧」の旧字体)。


あの世とこの世の境になる六道の分岐点は、六道珍皇寺の境内にあったとされ、京都ではここが冥界への入口であると固く信じられてきました。


六道珍皇寺 2006.01.29

平安時代、鳥部山(東山阿弥陀ヶ峰)の麓には鳥部野と呼ばれる平安京、東の一大葬送地が広がっていました。山門前の通りが鳥部野への道筋であることから、ここで「野辺送り」が行われたといいます。

本堂の裏庭の片隅にある古井戸が「小野篁冥途通いの井戸」です。


六道珍皇寺 2006.01.29


篁は井戸の脇にある高野槇の枝につかまり、毎夜井戸の底に下り、冥府に入っていたとされます。


六道珍皇寺 2006.01.29


裏庭への立入は禁止されていますが、のぞき窓が設けられていますので、遠巻きに件の井戸を確認することはできます。


8月13日からはじまるお盆を前に、7日から10日までの4日間、祖先の御霊を迎える「お精霊(しょうらい)さん」と京都の人が呼ぶ、「六道まいり」の行事が催されます。


「六道さん」とも言われる六道まいりには、地元京都のみならず全国各地から、のべ10万人もの参詣者が訪れ、先祖の御霊を迎えます。ふだんは静かな界隈も、この4日間は状況が一変。


六道まいり 2005.08.07

六道まいり 2005.08.07

長い行列が寺を取り巻き、事情をご存知ない方がこの光景をご覧になると、先頭に行列ができる人気店があると勘違いされるようです。


「六道まいり」のだいたいの流れをご紹介しておきます。


境内参道で高野槇を買い求めた後、本堂で水塔婆に戒名を書いてもらい、精霊を迎えるための「迎え鐘」を搗きます。この鐘は唐国までも聞こえたという伝説があることから、十万億土先にあるという冥土にまでも届くだろうと考えられ、「迎え鐘」になったと伝わります。お精霊さんは迎え鐘の音色に導かれ、この世へと戻ってきます。


なおこの鐘は見えない場所にあり、紐を引いて鐘を搗きます。一説には、この鐘の下に冥界へと続く穴が開いており、その穴からお精霊さんが、この世に戻ってくると考えられているようです。


迎え鐘の後は、線香の煙で水塔婆を清め、石地蔵が並ぶ「賽の河原」で高野槇の葉で水塔婆に水向けをしてこの水塔婆を奉納します。


そうすると、迎え鐘の音に導かれた先祖の御霊は境内参道で求めた槇の葉に乗り、迎え人とともに懐かしい家へと帰っていくのです。


この六道まいりの期間、特別拝観以外には公開されない薬師堂の本尊薬師如来像(重文)のお参りができます。また、境内の閻魔堂に並ぶ、篁の作という閻魔大王の坐像と小野篁の立像も公開されます。


◆参考文献

『あなたの知らない 京都・異界 完全ガイド』 平川陽一、結喜しはや 著 洋泉社 発行

小学館入門百科シリーズ・171『鬼太郎の天国・地獄入門』 水木しげる 著 小学館 発行

『京都・魔界への招待』 蔵田敏明 著 淡交社 発行
『京都妖怪紀行』 村上健司 著 角川書店 発行
『京都 秘密の魔界図』 火坂雅志 著 青春出版社 発行
らくたび文庫No.32『京都・魔界巡り』 らくたび 編 コトコト 発行
『庶民に愛された地獄信仰の謎』 中野純 著 講談社 発行
『地獄探訪』 真野匡 漫画 鷹巣純 監修 朝日新聞出版 発行
『地獄大図鑑』 木谷恭介 著 立風書房 発行
『冥土旅はなぜ四十九日なのか』 柳谷晃 著 青春出版社発行

「日本妖怪大百科VOL.9」 講談社 発行

名称:六道珍皇寺
所在地:京都市東山区




本日はご来店くださいましてまことにありがとうございました。


またのお越しを心よりお待ち申し上げております。