この石仏、見る人が見れば分かる!?
「見上げ入道」では、“見上げ入道の棲家の入口にたたずむ石像”として、また「姑獲鳥(うぶめ)」では、“姑獲鳥石”として描かれています。
・・・ということで、入らずの山の妖怪学校に入学してきました!!
この石像に羽毛を被せて、姑獲鳥を蘇らせてみました!!
・・・スミマセン、ウソです。
この石像はフィクションではなく、長野県筑摩郡筑北村の安宮(やすみや)神社境内に実在するものです。
他にも様々な姿をした800体以上の石仏が見られます。
特にこの三体の並びは個性爆発!!
向かって左、古代マヤ文明の雨神ユムチャックふう!?
真ん中、キングオブコメディの今野浩喜氏ふう!?
向かって右、餅殺しの火車ふう!?
それにしても、個性的な石仏だらけ・・・!!
800体の石仏をいくつかのパターンに分類してみました。
当地周辺は昔、養蚕業が盛んだったことから、蚕を鼠から守る猫を神と崇め、猫をモチーフとした石仏が多く寄進されたということです。
ニャー!!
ちなみに向かって右のこれは、「狛犬」ならぬ「狛猫」だそうです。
真ん中の鬼のような石仏は「針通神」
“姑獲鳥石”の石像は「猫神」ではないかといわれています。そのほかに「鬼神」とも「悪霊」とも呼ばれているとか!?
江戸時代末期の安政年間、修那羅大天武(しょならだいてんむ)と称する修験行者が、この峠を行場とし人々の願いにこたえていました。人々は祈願成就の暁には、お礼のため様々な姿の神仏を刻んだ石をこの峠へと納めにきたといいます。
訪れたのは2007年の夏、NHK大河ドラマ「風林火山」が放映されていたこともあり、佐久や上田の史跡巡りも兼ねて廻ってきました。
再来年のNHK大河ドラマは「真田丸」。真田丸とは大阪冬の陣で真田信繁(幸村)が築いた出城のことです。信繁の祖父幸隆は、甲斐武田家の家臣として活躍し真田家の礎を築きました。その三男昌幸は、武田家滅亡後には織田信長に恭順。本能寺の変で信長が横死した後は、信濃上田を本拠とし城を築きます。城は徳川によって一旦破却されますが、のちに再建。明治期に再度破却されてしまいますが、昭和・平成期に復元され、現在は上田城跡公園として整備されています。
そこから修那羅石仏群のある安宮神社までは、およそ25km・45分ほどの距離です。再来年の予習を兼ねて、真田の史跡を巡るついでに石仏たちに会いに立ち寄ってみてはいかがでしょう。
◆データー
名称:修那羅山 安宮神社
所在地:長野県東筑摩郡筑北村坂井2187