香川県の高松に鉄道が開通したのは1897(明治三〇)年2月21日。駅舎は現在の高徳線昭和町付近にに置かれ、木造平屋で瓦葺だったということです。現在の場所に誕生したのは、1910(明治四三)年7月1日。岡山・宇野と高松を結ぶ宇高航路開設に合わせ、内陸部にあった駅舎から軌道を付け替えて港寄りに移転したのが始まりです。その二代目駅舎は、洋風木造建築の、2階建の駅舎は延べ1450平方メートル。当時、巨大とされていた大阪・梅田駅を凌ぐものだったとされます。ほぼ現在の駅舎の場所に南向きに建てられました。

 

現在の駅舎は四代目。四国の玄関口を自認する高松の顔に相応しい威容を誇っています。

 

JR高松駅 2013.09.26

ホームは1番線から9番線まで4面9線。2番線は1番線ホームの先端を切り欠いて設置されています。1~3番線には架線が張られておらず、1・2番線は非電化の高徳線専用になっています。すべて頭端式のホームと特徴的なヴォールト天井のオープンな駅舎がヨーロッパのグランドステーションをイメージさせます。

JR高松駅 2001.09.24

高松駅を発車する定期列車は1日168本。各方面からの到着列車は170本。また四国内の各県庁所在地は、特急列車によって直通で結ばれています。それに加えて、瀬戸大橋経由で岡山へも上下合わせて77本の快速と4本の特急が運転されています。

ホームから駅前広場までオールフラットのバリアフリー仕様、人にやさしい駅舎です。
 
JR高松駅 2002.07.30

四代目となる現駅舎は、2001年5月13日に供用開始。そのころすぐ近くに職場がありました。数年で離れることになりましたが、あらためて見直してみると14年という時の流れに感慨深いものがあります。

かつては連絡船への引き込み線が海の方へと続おり、現駅舎のコンコースを出た正面に見えるJRホテルクレメントのあたりが宇高連絡船の桟橋でした。
 
全日空ホテルクレメント高松 2001.9.24
JRホテルクレメント高松 2013.09.27

1988(昭和六三)年4月9日、瀬戸大橋開通の前日、78年の歴史に幕を下ろした宇高連絡船。かつてここにその桟橋が有ったことが想像できないほど、再開発によって景色が一変しました。
 
宇高連絡船「讃岐丸」モニュメント 2001.09.24

1974(昭和四九)年に就航し、連絡船廃止後は瀬戸大橋観光船として転用された「讃岐丸(3088トン)」のアンカーが、往時を偲ばせるモニュメントとして設置されています。

なぜか近くにデススターのモニュメントもあります。

デススター・ホテルクレメント高松 2001.09.24

三代目の先代駅舎前に設置され、市民の待ち合わせ場所などとして親しまれていた花時計は、1961(昭和三六)年3月30日に設置されました。駅舎と共に引退した初代花時計は、1998(平成一〇)年に徳島県立三好高等学校に寄贈され、現在も時を刻み続けているということです。
 
高松の風景「JR高松駅前花時計」2001.09.24

現在の二代目花時計は海水池脇に設置されています。

三代目駅舎の供用開始は1959(昭和三四)年9月15日。高松駅舎と四国総局を兼ねており、水平垂直を基調とした官庁舎のような外観で、厳めしい雰囲気を醸し出していました。1997(平成九)年12月まで使用されていました。四国を離れている間に建替え解体されてしまい、記憶の中にしか存在しません。

 

国鉄高松駅・Wikipedia

 

今は、身近に似た雰囲気の駅舎があります。それはかつて米子鉄道管理局が入っていた、現在のJR米子駅。


JR米子駅 2013.08.20


はじめて見た時に、懐かしいと感じたのはなぜなのか?記憶をたどっていくと三代目高松駅舎に行き当たりました。

三代目高松駅舎の思い出・・・

・セシールとヤマキの看板
・多くの人が行き交い、みんな走っていた
・うす暗かった
・便所が臭かった(笑)
・今よりも昔の方が都会だったような気がする・・・

バブル景気の絶頂期の1988年4月10日に瀬戸大橋が開通。橋は上を自動車、下を鉄道が走る2階建。JR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が開通したことにより、88年のJR高松駅の乗降人数は前年の4割増しとなり、大橋効果が炸裂しました。これが永久に続くと思ったことが悲劇の発端!?

 

瀬戸大橋 2014.03.31

しかし、その効果は3年しか続かず、以降は減少に転じています。2000年以降は微増減を繰り返していましたが、08年以降は再び減少局面に入り、11年には橋開通の前年の数字を下回っています。

JR高松駅乗降客数
1977年 乗634.9万人 降629.9万人
1986年 乗530.3万人 降523.1万人
1987年 乗457.5万人 降446.7万人 ※JR四国発足
1988年 乗644.2万人 降630.2万人 ※瀬戸大橋開通
1991年 乗648.5万人 降632.8万人 ※開通後、最高の乗降数を記録
1998年 乗565.5万人 降550.4万人
2001年 乗499.2万人 降493.5万人 ※サンポート高松完成
2008年 乗482.3万人 降476.5万人
2011年 乗451.2万人 降445.4万人

瀬戸大橋開通の前年、87年は大幅な前年割れとなっています。同年4月1日、国鉄分割民営化でJRが発足しており、何らかの事情によって実数と乖離しているのかもしれません。

快速列車で高松⇔岡山の所要時間が約60分、通勤・通学圏内となったことで、88年以降、定期客の比率が上昇し、99年には普通と定期の比率が逆転しました。

2000年以降は高速道路網の整備によって高速バスが増発、それにより鉄道とバスの競合が激しさを増しています。駅前バスターミナルは高速バスと路線バスなどの共用でしたが、高速バスの本数が多く常に混雑しており、その再整備が長く懸案となっていました。駅南に隣接して琴電の新駅舎が建設される予定でしたが、同社の倒産や県の財政難などから事業そのものが中止となったため、その場所に昨年10月に高速バス専用のターミナルが設置されました。
 
高松駅高速バス専用ターミナル 2013.10.01

ここが四国の玄関口としての機能は、瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道・JR本四備讃線)、明石海峡大橋(神戸淡路鳴門自動車道)、瀬戸内海大橋(西瀬戸自動車道)本四三橋時代、あるいは瀬戸内三橋時代と呼ばれる時代が到来し、高松の拠点性が失われた時点で、その役割は終えたといってもいいでしょう。

明石海峡大橋
明石海峡大橋 2002.11.10

瀬戸内海大橋(写真は来島海峡大橋)
来島海峡大橋 2008.05.03

でも、「玄関口」という地位をに執拗に固執する人がいる。諦められない人がいる。

・・・で、こうなった。

2001年5月、瀬戸の都「サンポート高松」オープン!!

2002年5月
サンポート高松 2002.05.12

2010年4月
サンポート高松 2010.04.25

駅北東は旧貨物駅跡地などを再開発した、瀬戸の都「サンポート高松」と呼ばれる新都心です。
 
サンポート高松 2013.03.31
サンポート高松 2013.09.27

モデルにしたのは、東京・晴海のトリトンスクエア。
 
晴海トリトンスクエア 2005.12.10
晴海トリトンスクエア 2006.10.16

バブル以前からの計画だったため、当初の青写真からすると大幅な計画縮小を余儀なくされています。

初期案
「サンポート高松」完成予想図・初期案

最終案
「サンポート高松」完成予想図・最終決定

また当初、サンポートのフェリーバースには、小豆島や直島航路のカーフェリー乗り入れを想定していないということでした。これは当該自治体の大きな反発を招き、県議会でも問題となり、県は当初の案を撤回することになりました。しかし、使用させなかった場合、3000トン級と5000トン級岸壁に加え、年に数回しかクルーズ客船の入港がない5万トン級岸壁の3つをどのように利用するつもりだったのか興味があるところです。

駅北側、サンポートのビル群!?
 
高松シンボルタワー 2013.09.26

向かって左の高層棟はオフィスや上層階はレストランなど、右の低層棟は商業施設や文化ホールなどが入居しています。

このピカピカの未来都市を見て、関西から転勤してきたそれなりの立場の人がつぶやいた言葉が印象的でした。

・街の外れ、どん詰まりにこんなものを造っても、それ以上の発展のしようがない
・玄関なんてのは単なる通過点。地方で新たに造った玄関口が栄えた試しがない
・ターミナルで商売を成り立たせるには、複数の路線が乗り入れていて、一定以上の人の往来や滞留があってはじめて成り立つもの
・動線を断ち切って人の流れを変えておきながら、そこに集客施設を造るという発想が理解できない
 
辛辣なもの言いだなと思いましたが、その指摘に誤りはありませんね。

橋が無く、文字どおり孤島であった時代は、本州から四国への出入りのメインゲート、玄関口は高松でした。

しかし橋が三つも架かり、高速道路網の整備によって、本四間の往来が容易に成った時点で、その拠点性は崩壊し、四国は離島から本州の半島へと変わりました。

日本全国を見渡してみると、大小様々な半島がありますが、過去から現在に至るまで栄えた場所があるのでしょうか?外から人を呼び込むよりも、中から人を逃がさないという発想が必要だと思います。しかしそれに特効薬はなく、時間を掛けて地道に積み上げていくしかありません。でも人口減少局面に陥った現在、時間との勝負でもあります。

◆参考文献
週刊JR全駅・全車両基地22「高松駅・徳島駅・海部駅 ほか84駅/徳島運転所」 朝日新聞出版 発行