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明日は節分。節分会(え)は『延喜式』に定められた宮中行事のひとつで、陰陽師によって大寒の前夜半に、牛と童子の彩色土人形を大内裏の各門に飾って鬼を払うまじないのことを指します。なおこれらの土人形は立春の前夜半に撤去されます。
この行事は、宮中行事として平安初期から大晦日に行われている「追儺(ついな)」が元になったとされています。
元々鬼は、目に見えない災厄(疱瘡、麻疹やインフルエンザなどいはゆる疫病)を指したものとされました。しかし今日描かれている鬼の姿を連想してみると、牛(丑)の角に虎(寅)のパンツを穿いています。これは北東、つまりは艮(うしとら)の方角から鬼がやってくるとされる「鬼門の思想」に基づいてその姿を想像し、描かれるようになったからだといいます。
「鬼門の思想」は中国から入ってきたものです。古代中国では、春から夏にかけて北方騎馬民族による侵入、略奪に散々悩まされました。それらはいつも北東の方角からやってきました。それらが去った秋から冬には、北東から猛烈な季節風が黄塵を伴って吹き荒れました。それらがすなわち「鬼」とされたわけです。このことから鬼門(表鬼門)は艮(丑寅)、すなはち北東の方角を指します。また裏鬼門は鬼門の対角の坤(未申)、すなはち南西の方角を指します。
日本においては奈良時代から平安時代の都づくりにその思想が取り入れられています。自らが陥れ葬り去ったかつての政敵、早良親王や井上内親王らの祟りを恐れた桓武帝により造営された平安京。その北東には比叡山延暦寺、南西には石清水八幡宮を造営し、厳重な鬼門封じが施されています。また都の内にもさまざまな鬼門封じが施されています。
それらは鬼門封じの風習は、今日においてもしっかりと根付いており、都市だけでなく、個人の邸宅や会社などにおいても見られます。それは北東、すなはち鬼門の方向を凹ませる、欠き込みと呼ばれる鬼門封じです。また、欠き込みに南天や桃、梨、柊、榊、槐(えんじゅ)などを植えたり、魔除けの鐘馗様を模したものを配したり、魔除けの石や白砂が敷いたり、あるいは立砂で浄めたりしています。
南天は「難を転じる」という語呂合わせから縁起が良いと云われ、庭の表鬼門(北東)や裏鬼門(南西)に植えられ手いることが多く、赤い実は魔除けの意味を持っています。
桃は「黄泉比良坂神話」によると、死して黄泉国の食べ物を口にしたため、恐ろしい姿に変わり果てた妻のイザナミの命により追いかけてきた千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)、つまり鬼の大群を夫のイザナギが黄泉比良坂の坂上に運よく生えていた桃の実を投げつけて退散させたことに因み、邪気を払うとされています。また桃をぶつけて鬼退治をしたことから、おとぎ話の『桃太郎』は、「黄泉比良坂神話」が下敷きになっているとされます。
柊は葉の縁の刺が痛いっ!!それを利用した風習があります。鰯の頭を柊に挿して玄関口や軒先に掛けておけば、その臭いに誘われた鬼が柊の棘に刺されて退散するといった話しから植えられるようです。
本来、鬼門封じは快適な住生活のための知恵でもあります。家の建築において鬼門を避けた方がよいとされるのが、玄関はもちろん、台所、風呂、便所などの水まわり、それに寝室や勉強部屋などです。敷地内ではゴミ箱などの不浄の物や排水溝、井戸などの湿気や水気のあるもの。そして離れや車庫、蔵なども避けた方がよいとされます。これらは忌み嫌うというよりは、穢してはならない、つまりは浄めておくべきところであると考えるべきでしょう。
地理や気候を考えれば、京都盆地の風はおもに表鬼門ないしは、裏鬼門の方角から吹いてきます。つまりはその方角に臭いのある物や湿気があると部屋の中に充満するので、衛生上ないに越したことはありません。風通しのことを考えれば、大きなものは構えない方がよいですし、北東に向いている場所は日照時間が短いため冷たく寒いので、水まわりや冷え込みの気になる風呂や便所は避けた方が無難、健康上の理由からもよいでしょう。また家相において裏鬼門の便所は大凶とされていますが、これは南西は西日を受けて物が腐りやすいことなどから、衛生上や健康上の理由から避けた方が無難という理に適ったものです。
◆参考文献
「月刊 京都」2013年2月号 No.739号 白川書院発行
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