本所南割下水付近、現在の北斎通りに出たという怪異。

 

江戸・本所七不思議四夜目の話しは灯無蕎麦です。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-灯無蕎麦(北斎通り南割下水付近) 2008.11.15

主に冬のもっとも寒いころの深夜に現われたという。そんな夜は、ちょうど遠くで寒念仏の声が聞こえるばかりで、それ以外は、ふつうの人が酔狂に出歩くことなどしない。木枯らしがヒューヒュー吹いてひどく寒い夜、なにかの用事で道を歩いていると、大きな行灯に「二八 手打ちそば切 うんどん」と書いたのが見える。これが当時の、蕎麦屋台の行灯なのであった。

 

「やれうれしや、熱い蕎麦の一ぱいも・・・・・・」

 

と近づいてみると、だれもいない。すこしの間待ってみても、だれも来そうにない。

 

「くそっ、いたずらか」

 

と、うっかり行灯の灯を消そうものなら、たいへんである。たちまちその人の近辺に凶事が起こるといった次第である。

 

これには異なる話がいくつかあり、屋台に近づくが行灯に火が点いておらず、気を利かせて火を点けてやるが、すぐ消える。何度やってもすぐ消えてしまう。ついにはあきらめて家に帰ってしまうが、こんなことがあった後は、決まって凶事が起こったという。これは灯無蕎麦の奇談である。

 

この反対に無人であるのに一晩中、灯りが点いたままの屋台の出現もあったという。こちらは消えずの行灯と称す奇談であるが、灯無蕎麦と同じものとされます。こちらに出会った場合の結末も碌なモノではなかったといいます。

 

「灯無蕎麦」について、水木大先生は著書の中で次のような解説をされています。

 

これはいわば、人の形をしていない一種の幽霊であろうが、よく昔の旅人が、空腹でこまっているようなとき、山中で、ありもしない明かりを見て、それに近づこうとするとどうしても近づけないとか、夜、雪原に、一軒家を見つけ近づこうとしてなかなか近づけないどころか、結局なにもなかったとかいった話しを聞くが、この「灯無蕎麦」もそういった心理的な妖怪の一種かもしれない。空腹というのは(空腹といってもかなり強烈な空腹だが)、いろいろな幻覚というか、奇妙なものを見せてくれるものだ。

 

ぼくは戦争中、一年も飯(めし)というものを食わなかったとき、白米を食う夢とかすき焼きの夢ばかり見ていた。しまいには夢を通りこして、なんだかそこにあるような気さえしたことがある。

 

◆参考資料

『日本妖怪大全』 水木しげる 著 講談社 発行

『日本妖怪大事典』 水木しげる 画 村上健司 編著 角川書店 発行

『江戸の闇 魔界めぐり ‐怨霊スターと怪異伝説‐』 岡崎柾男 著 東京美術 発行