昨夜の月は美しかった。
 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-十四夜 2013.09.18

月といえば「兎」

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-月兎・シャンデリアテーブル 2012.10.24

※阪急うめだ本店13階・シャンデリアテーブル(大阪市北区角田町)

 

月夜に響く「狸」の腹鼓?

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-隠神刑部狸 2013.04.27

※隠神刑部狸(水木しげるロード)
 

そして、月からの使者といえば「かぐや姫」か・・・

 

『竹取物語』は、日本最古といわれる物語で成立年や作者は共に不詳、『竹取物語』は通称で、『竹取の翁の物語』『なよ竹のかぐや姫の物語』とも呼ばれます。

 

舞台設定は、天武帝持統帝に仕えていた実在する人物をモデルにしていることから考え、七世紀後半から八世紀ごろ、飛鳥時代後期、あるいは奈良時代初期ではないかと推測されます。

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-天武・持統天皇陵 2008.06.14

 ※天武・持統天皇陵(奈良県明日香村)
 

日本全国に由来の地を自称している市町がありますが、人物設定から考えて「藤原京」からほど近い、「奈良県広陵町三吉」が最有力と考えるべきでしょう。物語の最終で、不死の薬を燃やした山が「不死山」、転じて「富士山」となったことから、静岡県富士市も名乗りを上げていますが、いかがなものでしょう。

 

『竹取物語』は、おとぎ話『かぐや姫』であらすじをご存知の方が多いと思いますので、身構えず気楽に読んでいるうちにズブズブと古典文学の世界に嵌ってゆくかもしれないおもしろいお話しです。

 

また、大人になって解る物語のおもしろさは、かぐや姫に求婚した五人の助平な男どもを蹴散らすために、かぐや姫が課した無理難題、それに対する五人の男の応え方とかぐや姫の遣り取りでしょう。 

 

石作皇子(いしづくりのみこ)には、天竺にあるという「仏の御石の鉢」を所望しました。これはお釈迦様が使った食器で光を放つ代物です。持ってきたものは贋物で、当然見破られてしまいます。鉢を捨ててさらにかぐや姫に言い寄ったことから「厚かましいこと」を指す「恥(鉢)を捨てる」語源になりました。 

 

車持皇子(くらもちのみこ)には、「蓬莱の玉の枝」を所望しました。これは根が白金(銀)、茎が黄金(金)、実が白玉(真珠)という代物で、いわゆる金の成る木ですね。現代ならクリスマスツリーで代用可でしょうか?しかし、これは金にモノを言わせれば作れなくはないため、車持皇子は荘園十六ヶ所と蔵の財をすべて投げ打ち、当代随一の鍛冶細工師六人を集め、千日の歳月をかけ、かぐや姫の言うものと寸分違わぬモノを作りました。それを風のうわさに聞いたかぐや姫は、大いに焦り悩みます。車持皇子が持ち帰った「蓬莱の玉の枝」を見たかぐや姫は物も言わず、ただ頬杖をついて嫌な顔をしました。ふと目を横にやると、竹取の翁は大喜びし寝所の用意をしています。なんというクソジジイめが・・・、かぐや姫は内心思ったことでしょう。ところが、ひょんなことからこの枝が贋物であることが露見し、かぐや姫はホッと胸をなでおろします。ん!?よくよく考えてみると、かぐや姫は月から来た超能力者のように思っていましたが、贋物を見破る能力はなかったようですね。 

 

右大臣阿倍御連(あべのみむらじ)には、「唐土(もろこし)の火鼠の皮衣」を所望しました。これは現存するもので「石綿」だと考えられます。現代風に言ってみれば耐火・耐熱服みたいなものでしょうか。阿倍家は大金持ちであったため、出入りの唐土の商人に命じ、大金を積んでそれを持って来させます。そして、かぐや姫の前に差出し耐火実験をしてみせますが、あえなく炎上・・・このエピソードが、「あへ(え)なし」の語源になったといわれています。

 

ちなみに、「敢へ無し」の意味は、一、今さらどうしようもない 仕方がない二、がっかりする。張り合いがない三、あっけないということで、右の大臣(おとど)「阿倍」御連が持ってきた皮衣が、「あっけなく」燃え上がってしまい、「どうしようもなく」なり、「がっかり」とスゴスゴ帰って行く形なしな様から「阿倍なし」転じて、 「あへなし」という語源になったとされています。

 

単なるシャレかい!!(笑) 

 

大納言大伴御行(おおとものみゆき)には、「龍の頸の五色の珠」所望しました。これは正倉院に蔵められている御物「五色龍歯」が元ネタではないかと推測されます。もちろん「龍の歯」などではなく、実際にはナウマン像の歯だそうで漢方の秘薬とされたものです。 

 

石上麻呂(いそのかみのまろ)には、「燕(つばくらめ)の子安貝」を所望しました。これは燕が生むとされた貝で、女性器に似ていることから安産の御守にされたり、その美しさから貨幣として使用されたこともあるものです。これは、現存する「タカラガイ」のことで、最も手に入れ易いものであることから、かぐや姫の本命はこの石上麻呂ではなかったかと推測されますが、「燕が生んだ」というところが難題であり、最終的に一番悲惨な結果を迎えてしまいます。

 

『竹取物語』の作者は不詳ですが、この五人の男は実在する人物であり、帝に仕えた当時最高権力者であろう錚々たる顔ぶれです。それらに対して無理難題を押し付け、ケチョンケチョンにやり込めていることから、反体制的人物であることは間違いないでしょう。また作中に和歌や仏典などが登場することから、和歌の才があり、漢学・仏教・民間伝承に通じた、それら一族に対する相当な恨みをもった人物、つまりは政治的に排斥された一族のものではないかと推測されています。 

 

『竹取物語』に登場する「竹取の翁」「妻の嫗」翁(おきな)嫗(おうな)あまり馴染みのない言葉ですが、現代語訳はおじいちゃんおばあちゃん 

 

また、言い換えると蔑称ともされ、あまりいい使われ方はしませんが、爺(じじい)と婆(ばばあ)

 

水木しげる記念館翁(おきな)嫗(おうな)

 

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-水木しげる記念館ナイトミュージアム 2011.08.06
 

児啼の翁砂かけの嫗です。

 

今宵は十五夜

好天に恵まれ、よいお月見ができそうです。

 

明日は十六夜、あさっては立待月、そして居待月、寝待月、更待月というふうに、月の出を待つ時間経過を表わした言葉があります。

 

古来より、日本人ほど「月」を愛しんできた民族はないのではないでしょうか。

 

平安の昔にも今宵と同じように、月を眺めている人が存在していたことに思いを馳せながら、静かに月を愛でるとしましょう。