中四国百貨店協会(岡山市)発表の岡山県・広島県東部の百貨店4店の2020年7月~9月売上高及び中四国地方25店の同売上高。

 

※数字は2020年7・8・9月各単月の売上高です。

 

店名(所在地)

2020年7月売上(前年同月比)

2020年8月売上(前年同月比)

2020年9月売上(前年同月比)

外観写真

 

天満屋岡山店※津山店を含む(岡山県岡山市、津山市)、倉敷店(倉敷市)

20年7月 3,011百万円(▲11.4%)

20年8月 2,524百万円(▲13.7%)

20年9月 2,705百万円(▲34.1%)

 

岡山高島屋※タカシマヤフードメゾン岡山店を含む(岡山県岡山市)

20年7月 1,376百万円(▲12.5%)

20年8月 1,127百万円(▲13.3%)

20年9月 1,396百万円(▲26.8%)

 

天満屋福山店※福山ポートプラザ店を含む(広島県福山市)

20年7月 1,444百万円(▲10.3%)

20年8月 1,109百万円(▲17.2%)

20年9月 1,110百万円(▲35.1%)

 

月別メモ

7月・・・新型コロナウイルスの全国的な感染拡大で外出自粛の傾向が一段と強まって来店客数が伸び悩みむ。海外高級ブランドや美術・宝飾・貴金属などの高額品は好調だったが、主力の衣料品や食料品の不振が続き、10ヵ月連続で前年割れを記録。

8月・・・新型コロナウイルスの影響で外出の自粛傾向が続き、夏休みの集客イベントが開けなかったことや猛暑の影響などもあり、来店客数が大幅に減少。海外高級ブランドや美術・宝飾・貴金属などの高額品は引き続き好調だったが、主力の衣料品や食料品、化粧品などの不振が響き、11ヵ月連続で前年割れを記録。

9月・・・新型コロナウイルスの影響が長引いたことに加え、昨年10月の消費税増税前の駆け込み需要の反動で各店とも大幅な前年割れとなり、12ヵ月連続で前年割れを記録。

 

中四国地方25店合計

20年7月 259億3,100百万円(▲12.0%)

20年8月 208億9,500百万円(▲14.6%)

20年9月 193億2,200百万円(▲32.5%)

あゝ、境水道に日が沈む。

 

 

松江市上東川津町に位置してひとつの山塊を成す和久羅山(わくらやま)と嵩山(だけさん)。

 

 

向かって左の頭に相当するのが標高261.8メートルの和久羅山、向かって右の身体に相当するのが標高331メートルの嵩山。

 

 

遠くから望むその山容が、横たわったキューピー人形のように見えることから鳥取側では「キューピー山」と呼ばれる。なお、山向こうの松江側では「寝仏山」と呼ばれている。

 

境港から江島大橋を渡った先の丁字路がビュースポットだが、遠く離れた美保関からも見えることに最近気づいた。

 

 

天使の階段に照らされたキューピー山。


涅槃図のようにも見える。

 

 

合掌。

鳥取県米子市の中心部を流れる「加茂川」」は、江戸時代には米子城の外堀の一部として、また、北前船が寄港する米子港から商家に物資を輸送する運河としての役割を果たした。

 

 

加茂川は、島根県安来市伯太町安田山形の鷲頭山を源流とする延長9.5キロメートルの一級河川で、米子市内を流れた後、中海へと注ぎ込む。

 

 

加茂川沿いには、たくさんのお地蔵さんが祀られており、毎年8月23日には、「地蔵盆」が行われている。

 

 

この地蔵盆は、子どもの安全と健やかな成長を願う祭りで、江戸時代中期から続く米子の伝統行事。

 

 

米子市を含む鳥取県西部地域1市3町がそのエリアは、中国地方最高峰の大山を中心とした地蔵信仰が盛んで、「地蔵信仰が生んだ日本最大の大山牛馬市」として、文化庁より日本遺産に認定された(※2016年4月25日発表)

 

 

古くから市民に親しまれてきた加茂川は、つい最近まで「旧加茂川」と呼ばれていた。

 

 

1966(昭和四一)年、治水対策のため、鳥取県立米子南高等学校付近で二手に分岐。その際、新たに開削された放水路を「加茂川」とし、元々の川を「旧加茂川」としてしまったため、話がややこしくなった。

 


旧加茂川は市街地を流れ、古くから市民に親しまれていることから、名称を元に戻すよう市民から要望が上がり、2019(平成三一)年1月、米子市商店街連合会や自治連合会などの10団体は「旧加茂川」周辺の水辺空間を活かした歴史・文化・観光によるまちづくりを推進する目的で、「加茂川」の名称復活を望む要望書を米子市へ提出。それを受けた米子市は、県へ同河川等の名称を変更するよう要望。一級河川の名称の変更は国の権限であることから、河川管理者として幅広く県民意見を聞くためパブリックコメントを実施した後、2020(令和二)年2月議会の議決を経て国へ名称変更を要望。

 

 

これを受けた国土交通省は、河川法第4条第1項に基づき、「旧加茂川」から「加茂川」への変更が許可され、2020(令和二年)8月5日、54年ぶりに「加茂川」の名称が復活した。

 

 

なお、「加茂川」は「新加茂川」へ、「旧加茂川放水路」は「加茂川放水路」に名称が変更された。

 

 

「加茂川」の名称復活を記念して、今月3日・文化の日、米子市立町の加茂川広場を中心に「秋の加茂川まつり」が開催された。

 

 

広場では、加茂川音頭やこども万灯が披露され、拍手喝采が秋晴れの空に響いた。

 

 

また、キーワードラリー、加茂川広場マルシェ、カヤック体験、Night Riverside cafeなどの多彩なイベントが催された。

 

 

多くの人たちが加茂川周辺に訪れて、秋晴れの一日を満喫した。

 

今月初めで鳥取県を離れて日々苦戦、日々満身創痍で1年9ヵ月が経過。その間、度々帰鳥しているが、米子の中心市街地は未踏。

 

南北一体化工事に伴う米子駅舎の解体を控えて、10月29日~11月3日の期間、コンコース一般開放が実施された。その訪問に合わせ、米子駅のある弥生町から本通り商店街を経由して灘町の米子まちなか観光案内所までの1.8キロメートルを踏破。

 

あの時あったものが無くなっていたり、なんだだこれ?なおもしろ物件に気づいてみたり、

 

これ、どうやって駐車するだ?と、悩む人が続出!?

 

 

「ホテルビジネスインよなご(米子市万能町)」の駐車場。

 

2018(令和三〇)年12月16日まで鳥取県で一番高かった建築物、「米子ユニバーサルホテル(米子市万能町)」。

 

 

同ホテルより50センチメートル高い鳥取県立中央病院に県一の座を奪われた。

 

「仮称 三角ハウス(米子市道笑町)」。

 

 

メンズ館ではない。

 

だるま妖怪が乗っ取りを企みそうな1925(大正一四)年頃に建設された米子初の貸しビルで、米子で最古の鉄筋コンクリートビルディング、「米子専門大店ビル(米子市道笑町)」。

 

 

当ビルは地上3階建で4階は元から無い。

 

増屋の角に立地する「DARAZ CREATE BOX(米子市法勝寺町)」は、山陰合同銀行本通り支店をリノベーションした複合商業施設。

 

 

物販の他、コミュニティFM局DARAZ FMが入居している。

 

山陰最古の企業とされる「石賀本店(米子市法勝寺町)」。

 

 

創業は500年前、室町時代の永世年間(1504~24年)。

 

10年前から閉まっていた「木山金物店(米子市法勝寺町)」。

 

 

この日もやっぱり閉まっていた。

 

小路の突き当りに立つ真宗大谷派の古刹「西念寺」。

 

 

1593(文禄三)年2月、米子市尾高に創建。後に中村伯耆守一忠の帰依を受け、慶長年間(1596~1615年)に現在地に移転した。

 

本通り商店街(米子市紺屋町)アーケード。

 

 

「砂屋呉服店(米子市紺屋町)」。

 

 

「オモチャのこばやし(米子市紺屋町)」。

 

 

『鶴瓶の家族に乾杯』※2018(平成三〇)年11月12日放送に登場。詳細は、とてもここでは言えん。

 

アーケード商店街に突如として現れる江戸後期の町屋「大寺屋船越家住宅(米子市紺屋町)」。「県民の建物100選」に選定されている。

 

 

船越家は宝暦年間より栄えた豪商で、日本刀草創の宗家・沢口伯耆守安綱の末裔であると伝わる。

 

山陰の大動脈、国道9号に合流。中町交差点の一角を占める山陰歴史館(米子市中町)は、1930(昭和五)年完成の旧米子市廳舎。

 

 

設計者は早稲田大学建築学科の創始者・佐藤功一とその部下・増戸憲雄。

 

山の上に見える石垣。

 

 

あれは、標高90メートルの湊山に築かれた天空の城「米子城(米子市久米町)」。

 

あっ!!

 

 

山陰合同銀行旧米子支店(米子市東倉吉町)の建物が無くなってる。

 


昔、ここには播磨屋呉服店があり、その跡地に山陰合同銀行の前身である米子銀行の本店が建設された。

 

 

この旧米子支店の建物は1965(昭和四〇)年前後に建替えられたもの。

 

 

米子に数えるほどしか残っていない巨大建築物。

 

 

広い空が更に広く感じる。

 

 

山陰の大阪、商都・米子の象徴的物件。

 

 

ごうぎん-歴史館(旧市廳舎)-米子城の並びは、もう見られないのか・・・

 

 

中心市街地の中心に広い空き地。

 

 

今まで見えなかったものが見える。

 

初代市廳舎と二代目市庁舎の並び。

 

 

国道9号を隔てた向こうに米子市美術館(米子市加茂町)と三代目米子市庁舎(同)も見える。

 

 

あっ!!

 

 

噴水のライオンが消えている!!

 

 

ガオ―――ッ!!

 

国道9号の真正面、JU米子高島屋の本館と東館を結ぶ渡り廊下が見える。

 

 

国道9号が左に大きく曲がっているため、松江方面からよく見えるようにと店舗正面ではなく裏手にマル高の商標が設置されたと聞いたが真偽不明。

 

「伊藤足袋店(米子市東倉吉町)」。

 

 

「持田金物店(米子市東倉吉町)」。

 

 

米子随一の看板建築、旧理髪店「第一モデル館(米子市西倉吉町)」。

 

 

ここにあった町屋も無くなり駐車場になっている!!

 

 

この前を走る小路の東側に昔、呉服商羽織屋があったことから「羽織屋小路」と呼ばれている。

 

 

解体された町屋の一軒に不思議な看板が掲げられていた。

 

 

「小書齋(米子市西倉吉町)」。

 

 

どゆこと?

 

リモートワークに最適な貸し書斎?

 

 

あっ!!

 

おわかりいただけただろうか?

 

 

この蜂の巣が小書齋?

 

羽織屋小路の先に架かる郵便局橋向こうの「中央駐車場(米子市西倉吉町)」が、鳥取県西部と島根県東部に25店舗を展開する地方スーパー「丸合」の発祥地。

 

 

1947(昭和十二)年10月、海外の引揚者が西倉吉町で「よなごマーケット」開設。1954(昭和二九)年、「協同組合丸合百貨」を設立し、ここに第1号店を開店。屋号の由来は、商業の中心中の中心、大阪・心斎橋に店を構える百貨店、大丸と十合(そごう)ような立派な商人になりたいという夢を込めて、大丸と十合から一字ずつ取ったという。

 

加茂川に架かる八百八橋の向こうに見える大豪邸は、近代米子の発展に大きく寄与した日本屈指の地方財閥・坂口家のお屋敷。

 


昔、河童が出たという「曲がり淵(米子市尾高町)」。

 

 

今は流れが穏やかだが、昔は流れが速く複雑に渦を巻き、子供が溺れて命を落としたという。

 

本通りを横切る加茂川に架かる加茂川橋は、かつて市街地へ水道水を送るための水道橋。役目を終えた現在は、米子の水道の歴史を物語る証人として、市の有形文化財に指定されている。

 

 

あっ!!護岸の石垣が!!

 

 

中はこうなっているのか!!

 

本通り沿いにあってひと際目を惹く壮麗なビルヂングは、坂口財閥のヘッドオフィスとして1931(昭和六)年12月に竣工した「坂口合名ビル」。

 

 

尾高町と岩倉町の境を南に進むと天神橋。

 

 

米子城搦手門跡へと続く。

 

岩倉町では、今でも祝祭日に日章旗(日の丸)が掲げられる。

 

 

岩倉町と立町の境、鉤の手に曲がったこの中ノ棚の曲がりにあって、巨大な一銭銅貨の看板が目を惹く「一銭屋岡本商店(米子市立町)」。

 

 

創業は1934(昭和九)年、あめ玉からおもちゃまで子供の喜ぶものを何でも一銭で揃えたため、いつしかそれが屋号になったという。巨大な一銭銅貨は、木型を銅板で包んだもので、直径1メートル。1950(昭和二五)年に開催された米子博覧会を記念して作ったもの。

 

 

一銭屋は、昔も今も子供たちの社交場。休日には、かつてのここに通った子供たちが行列をつくることもしばしば。

 

町屋と石柱。

 

 

立町のとある場所に人だかり。

 

 

その先、「米子まちなか観光案内所(米子市灘町)」。

 

 

こゝから米子駅へUターン。

 

 

端折って、端折って、法勝寺町。増屋の角を曲がった先の元町サンロード沿い、「詩人・生田春月生家跡(米子市道笑町)

 

 

頭上注意。

 

螺旋階段がオシャレな「サンロードいしかわ(米子市道笑町)」。

 

 

「元町パティオ広場(米子市道笑町)」

 

 

ここが新出雲街道(上方往来)の起点となり、出雲街道や境往来と交差することから「米子のヘソ」と呼ばれてた。

 

国道9号開通までは、この元町通りが米子のメインストリート出雲街道。

 

 

小路の向こうにそびえるマンション。

 

 

昔、ここに米子大丸があった。

 

唐突にここで終わり。

1963(昭和三八)年2月完成の二代目米子駅舎(鉄筋コンクリート6階建・延床面積8,200平方メートル)。

 

 

総工費3億5,000万円は、現在の消費者物価指数に換算すると14億7,000万円相当。

 

 

国鉄時代は米子鉄道管理局、民営化後はJR西日本米子支社として使用された局舎と駅舎を兼ねた大ビルディング。

 

 

鉄道のまち米子の顔。

 

 

民営化時点で30局あった総局・管理局の庁舎は、建替えや再開発などで次々と姿を消してしまった。

 

 

この米子駅舎(局舎)は旧国鉄時代の雰囲気を残す貴重な遺産。

 

 

しかし、南北一体化事業に伴い、本年9月4日を以て、駅舎としての57年間に亘る営業を終了した。

 

 

なお、1962(昭和三七)年より営業を続けてきた駅プラザ2階、食事処グリル大山は2017(平成二九)年9月末日19時を以て閉店していた。

 

 

駅舎コンコース最後の一般公開が、10月29日~11月3日の期間に実施された。

 

 

その最終日に米子駅を訪ねた。

 

 

すべり込みセーフ!!

 

 

1902年開業の初代駅舎から現在の二代目駅舎の写真パネル57点や新駅舎完成予想図、年表などが展示されていた。

 

 

米子驛年表

1902(明治三五)年11月1日、初代米子駅開業

・御来屋-米子-境(境港)が開通。1日4往復。当時の運賃は二等席32銭、三等席18銭。当時、米1升(1.5kg)が10銭。山陰線は在来線として最長の673.3km。

1908(明治四一)年4月5日、米子-安来間開通によって、米子駅は分岐駅となる

1963(昭和三八)年3月、二代目米子駅開業

・米子鉄道管理局が併設された6階建てにビルが開業。当時、高い建物はなく、巨大な駅舎は遠くからも見え、米子のランドマークだった。

1982(昭和五七)年7月1日、伯備線全線電化

・特急やくも号を利用して米子~岡山間を2時間30分で結ぶ。新大阪まで3時間30分。関西がぐっと近くなった。

1987(昭和六二)年4月1日、国鉄分割・民営化

・JR西日本が発足、JR米子駅となる。又、貨物はJR貨物米子駅へ

2000(平成一二)年10月6日、鳥取県西部地震発生

2003(平成一五)年10月1日、米子~鳥取間高速化工事完成

2005(平成一七)年3月17日、当駅の愛称「ねずみ男駅」の使用を開始

・境線(米子~境港)の妖怪路線化(観光路線化)の一環

2011(平成二三)年3月24日、バリアフリー化工事完成

・エスカレーター、エレベーター、多目的トイレ設置。

2015(平成二七)年4月1日、JR貨物米子駅廃止

・貨物の取扱い終了。貨物業務は伯耆大山駅へ

2016(平成二八)年11月5日、12月17日、自動改札機の利用開始。ICカード「ICOCA」利用開始

 

立入可能なのは改札前のコンコースのみ。

 

 

壁面のタイル、捨てるんやったらちょうだい!!

 

 

グリル大山があった2階へ続く階段も閉鎖。

 

 

階段手すりに設置されたプラスチックパネル。

 

 

JU米子高島屋で再利用できそうな薔薇模様。

 

人通りが絶えたガランとしたコンコースは、静かに最期の時を迎えようとしている。

 

 

目を瞑って回想すると、旅行者や通勤・通学客が行き交い活気にあふれていた少し前のちょっとだけ懐かしい風景が甦る。

 

 

コンコース正面、改札上に設けられた大山の壁画について特に言及が無く、ビルと共に解体される!?

 

 

発車する特急やくもに手を振る子供や通学に利用する学生の姿。

 

 

大雪による倒竹で足止めされた特急やくもと利用客。

 

 

かつてコンコース右手には、JR西日本の小売・流通子会社が運営するキオスクやコンビニエンスストアのハート・インなどがあった。

 

 

キオスク跡は、顔ハメや大雪で枯死した潮止の松で作られたベンチなどの展示スペースとして利用。

 

 

コンビニ跡には、待合室が設けられた。

 

 

米子駅、夜明け前。

 

 

昼下がりの米子駅。

 

 

雪の米子駅。

 

 

スーパー戦隊シリーズ第一号『秘密戦隊ゴレンジャー』の1976(昭和五一)年1月31日放送、第38話「青い断崖!悪魔の海賊宝さがし」では、当時の国鉄米子駅でロケ撮影が実施された。

 

 

撮影は44年も前だが、駅舎の姿は現在とほぼ変わっていない。

 

 

2017(平成二九)年10月16日にTBS系で放送された西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ4「愛と裏切りの伯備線」にも米子駅が登場している。

 

 

再開発により現在の駅舎は解体されるが、その姿は映像作品の中に生き続ける。

 

米子市明治町のJR米子駅前を起点に、同加茂町国道9号及び鳥取県道47号米子境港線交点を終点とする延長0.7キロメートルの鳥取県道28号米子停車場線。


 

少し離れた終点側から見る米子駅が米子の景色マイ・ベストワン。

 

 

異論は認めますが譲りません。

 

鳥取県道・島根県道102号米子広瀬線の向こうに見える米子駅の全景も良景。

 

 

米子駅舎に入居していた米子支社は、隣接する旧印刷センタービル跡地に建設される新支社ビルに移転する。

 

 

通常、一般立入禁止の米子支社ビル内だが、2013(平成二五)年11月に米子市企画部地域政策課※当時が実施した「鉄道のまち米子・鉄のモニターツアー」に参加した際に入ることが出来た。

 

 

駅長さんにアテンドしていただいた特別なツアー。
 

 

そして主催者である市の職員の皆さんも興奮気味にかぶりつきで見たのがこの景色。

 

 

支社ビル解体で二度と見ることが出来ないスペシャルな光景。

 

 

支社ビル解体により、もう二度と見ることが出来ない景色が見られたのは幸運の極み。

 

支社ビル内。

 

 

階段グルグル。

 

 

今後、駅舎の3分の2を解体し、その跡地に歩行者と自転車が通れる延長約130メートルの自由通路を整備、加えて駅ビルなどが建設される。

 

 

自由通路が設けられるのはこの辺りか!?

 

 

JR西日本の商号や米子支社の標示板などは、新支社ビルに利用されるのか?

 

 

もし、捨てるんやったらボクにちょうだい(笑)

 

そして外壁に使用されているタイル。

 

 

いらんのやったらボクにちょうだい(笑)

 

本年9月5日より駅業務は仮駅舎に移っている。

 

 

ずいぶんと寂しい様子だが、この景色は新駅ビル完成までの期間限定。

 

 

必ず懐かしいと思う日が来るから、みんなこっちも撮っておけ。

 

駅舎の解体工事の着工は少し先になる模様。

 

 

外観はもう少しだけ見られる。

 

 

新駅舎は2023(令和五)年春に開業予定。当初の計画では、新駅ビルは4階建で、JRグループに加え3~4階に米子市や鳥取県などの行政施設が入居予定だったが、それらは見送られた模様。新たな計画では、駅ビルは2階建で、土産物店などが入店を予定しているという。

 

最後に時代を表した米子駅の一枚。

 

 

米子駅と岡村帆奈美アナウンサー(元 山陰放送アナウンサー、現 テレビ神奈川アナウンサー)