私事、2010(平成22)年9月24日の境港Iターンから今日で14年目を迎えた。

 

2010年8月末、Iターンの準備で訪れた水木しげるロードの様子。

 

 

1993(平成5)年7月18日のオープン以来17年が経過。ブロンズ像の増設やまちおこしイベント、新店舗の開店など年を追うごとににぎわいを増してきた。

 

 

記念館の前で鬼太郎の着ぐるみがお出迎え。公式やぞ!!

 

 

あの頃、河童の泉では衣装を羽織った鬼太郎小便小僧を見ることができた。

 

 

ベルギー王国の首都ブリュッセルにある小便小僧には、毎年2~30着の衣装が寄贈されるということで、その累計は1000着を超える。

 

当時、河童の泉の鬼太郎小便小僧へ全国のファンから衣装の寄贈を募る企画が実施されていた。

 

 

境港市観光協会ホームページで衣装サイズの型紙がダウンロードでき、それを基に製作した衣装を寄贈することができた。

 

鬼太郎にあなたの作った衣装を着せよう!!

 

2010(平成22)年6月30日には応募作品のファッションショーも実施された。

 

 

それら作品が夢みなとタワー内の鬼太郎ハウスの周りに飾られていた。

 

 

また、同じフロアーには百目などの着ぐるみが展示されていた。

 

 

2011(平成23)年からクルーズ客船誘致が始まった。初年4隻だった寄港実績は、2017(平成29)年にはのべ61隻を記録するまでに至った。

 

 

同年11月3日、二代目目玉おやじ列車運行開始。その数日前、JR西日本後藤総業車両所でひと足早く新車両を確認(役得)。

 

 

水木しげるさん生家近くに鎮座し、水木少年がよく訪れていたという「瀬崎稲荷神社」。

 

 

赤手ぬぐいを被った稲荷さんがお出迎え。手を合わせて「のんのん」。

 

 

その目印だった大きなイチョウの木は近年、防災上などの理由により根元から伐採された。

 

 

わかる人にはわかる「モクの木」。「花町ケンカ大将」に登場する敵対するガキ大将組織「忠助の国」の根城。度重なる雪害などで樹勢が衰えたため、2014年頃に伐採された。

 

 

境水道大橋の下には馬が放し飼いされており、のんびりと草を食む姿が見られた。

 

 

2018(平成30)年7月14日の水木しげるロード大規模リニューアルオープンや今年4月の水木しげる記念館の建て替えオープンなど、この数年でその姿を大きく変えた。

 

 

14年も経つと自然の流れでお別れする人たちも増えてきた。少年時代の水木さんが駆け抜けた風景もここにきて急速に変わりつつある。悲しいことだけれども、その姿は写真や思い出の中で生きている。

 

また、アニメ第6期「ゲゲゲの鬼太郎」放送開始や「悪魔くん」の新作配信、映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の大ヒットなどのせいだろうか。ここ数年、想定外に新しい出会いが多い。多いどころか夥しい。よいことだ。

 

※ブログ更新をしばらくの間お休みします。再開は12月の予定です。

三朝町の山奥にひっそりと存在するという謎物件「三朝風穴」。

 

「風穴」とは、洞窟の内外で生じる気温や気圧の差によって空気の移動が風の生じて、洞口を通じて体感的に大気循環がある洞窟の一形態のことを指す。また明治以降、「蚕種貯蔵風穴」が全国各地に多数造られた。後者だと山陰地方では出雲市佐田町の「八雲風穴」が有名。

 

たまたま地図を見ていて三朝風穴の文字が目に入ったので、暑い夏の盛り、穴から吹き出す冷風で涼を取るべく我々探検隊は三朝の奥地へと向かった。

 

 

倉吉駅から鳥取県道22号倉吉青谷線・同29号三朝東郷線・同21号鳥取鹿野倉吉線を経由しておよそ18km25分の道のり。

 

三徳山第2駐車場の奥、「この先Uターンできません。」の警告看板に恐れ戦きながら自動車を奥へと進める。

 

看板から500mほど進むと左手に謎の建屋、三徳雨量観測所。

 

 

一般立入禁止。

 

 

このすぐ奥で突然視界が開ける。

 

 

背後に高い山。

 

 

目の前に畑。

 

 

別天地、隠れ里の趣。

 

大きな一つ目に見られている・・・

 

 

三朝風穴は突き当り左。

 

 

笹の生えている坂道を登りって折り返し、杉の木と杉の木の間付近にあるはず。

 

 

「マムシ注意」の看板にビビりながら登り口らしき所に行ってみた。

 

 

・・・ナニコレ!!

 

背丈以上に伸びきった隈笹に覆われて道がわからない。

 

 

ホントにここを行くのか?ムリじゃね!?

 

道に沿って藪の中の様子を窺ってみると、路らしき痕跡は見えるが・・・

 

 

何かが在るようにも見える・・・

 

 

岩がゴロゴロ・・・

 

 

やがて道の終端、岩塊の真下辺りに至ったが、三朝風穴の真相は藪の中・・・

 

 

これは無理ゲーなので撤収、冬枯れの時期に再凸撃しよう!!

 

◆概要

名称:三朝風穴

所在地:鳥取県東伯郡三朝町三徳

駐車場:無

ホームページ:

●アクセス

鉄道・バス:JR西日本山陰本線倉吉駅下車・日ノ丸自動車上井三徳線線乗車35分三徳下車800m徒歩12分

自動車:山陰自動車道はわいICより鳥取県道320号羽合東伯線・同248号長江羽合線・同199号上浅津田後線・同185号東郷湖線・同22号倉吉青谷線・同29号三朝東郷線・同21号鳥取鹿野倉吉線経由約19km25分

昼は真夏のような暑さだが、日が暮れると秋の訪れが感じられる。

 

 

月を見ながら東郷池の畔を彷徨。

 

 

羽衣天女と共に月を愛でる。

 

 

短歌や俳句でただ「月」と詠むのは秋の季語で、月を題材にした秋の名歌や名句は多くある。

 

『新古今和歌集』に収録されている左京大夫顕輔(藤原顕輔)の一首「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月のさやけさ」は、非常に格調高くその情景をわかりやすく描ききっており、三代に亘る歌学の権威六条藤家の実力をうかがい知ることができると評価されている。

 

また、月には時間の経過を表す「十六夜」「立待月」「居待月」「寝待月(伏待月)」「更待月」などの異称もあり、古来より人々にとって月が身近な存在であったことがうかがえる。

 

今宵は中秋の名月。

 

 

夜空に輝く月がひと際美しい。

 

私の幸せな時間

 

Ameba写真部

 

鳥取県道22号倉吉青谷線。

 

 

昼間は倉吉駅前から松崎・泊を経由して青谷へと抜ける幹線道路として交通量が多い。

 

 

鳥短入口を越えた先は下り坂のためスピードも出がち。

 

 

その途中、左手に見える謎看板。

 

 

通るたびに気になっていたので、つい先日何があるのか行ってみた。

 

件の看板。

 

 

地蔵尊並びに大山坊の由来

 

 今からおよそ四〇〇年ほど昔大山寺の阿闍梨(高僧)が多数の修行僧を引き連れて伯耆路を巡錫中この佐美村を通りかかった。この時村人の多くが悪い流行病に罹り大変苦しんでいた。その苦しみを見兼ねて是非救ってやりたいと思い阿闍梨はこの流行病にたちむかった。朝と夕ともなく地蔵菩薩に秘宝の限りをつくし病気平癒の祈祷を行い病人には薬を与え病療看護に誠をもって勉めた。その甲斐あってさしもの流行病も雪が消えるか如く消え去った。

 阿闍梨は行法と村人への看護の疲れから間もなく病気に罹り帰らぬ人となった。

その後誰言うともなく「大山坊」と呼び自分の命と引きかえに村人の命を救ってくれたことを喜び感謝してその徳を慕い思いを報いるために地蔵尊を建立し大山坊の塚を建てて供養をした。

 大山坊は若い時より学問をつみ修行に励み、ついには高徳の阿闍梨になられたと言うことである。

 以後、村人は守護神として敬い今に至っている。

●大山坊のご利益

 大山坊は学問の修行を積まれた方で流行病平癒に霊験あらたかで徳に進学、就職の願いとは碑石の頭を撫でて一心に願いを込めて下さり大願成就されます。

念ずれば花開く

●地蔵尊のご利益

 男女をとわず腰より下の病にご利益あり、特に神経痛等に霊験あり、子宝に恵まれる

●真言 オンカアカアビサンマエイソワカと一心におとなえして下さい。

 お地蔵さんは、身代わりなって苦しみを自ら引き受けようとされます。

 

平成二十六年十二月 佐美区

 

以上、由来書き看板全文転載。

 

看板の右手に脊柱。

 

 

斜面を登る階段は狭くて急だがコンクリート製で頑丈。

 

 

登った先には墓地、振り返っても墓地。

 

 

墓地の手前に祠。

 

 

並んで建つ二棟。

 

 

右の屋根と柱だけの簡素な造りの祠が大山坊。

 

 

左の石祠には地蔵尊。

 

 

オンカアカアビサンマエイソワカ 合掌 礼拝。

 

◆概要

名称:大山坊

所在地:鳥取県東伯郡湯梨浜町佐美

駐車場:無

ホームページ:

●アクセス

鉄道・バス:JR西日本山陰本線倉吉駅下車・日本交通バス松崎北方線乗車4分佐美下車120m徒歩1分

自動車:山陰自動車道はわいICより鳥取県道320号羽合東伯線・同248号長江羽合線・同200号長和田羽合線経由約4.5km6分

地べたに記された「この先行き止まり」の警告。

 

 

進んでみたら警告の通り行き止まりだった。

 

 

道路改良によって町道が切り替えが実施されている。

 

 

車止めの手前、右に五輪塔と石碑。

 

 

2年前に訪れたときは草茫々。

 

 

五輪塔は草に埋もれており近づくことも躊躇われたが、現在は手入れが行き届いており大切にされていることがわかる。

 

 

当地に於いて1580(天正8)年、羽衣石城主南条元続の弟元秋は毛利軍の杉原盛重と激突した。

 

 

この長和田の戦いは毛利軍の勝利で終わり、重傷を負った元秋は敗走の最中、裏切った味方に殺害された。

 

 

その後、元秋の霊が村人を悩ませたため祠が建立された。

 

 

祠は見当たらない。

 

 

現在その地にあった椎の木(枯死)の下に五輪塔が建っており、地元では「隈田さん」と呼ばれている。

 

 

五輪塔の傍らには2000(平成12)年に羽衣石南條顕彰会が建立した「南条元秋公終焉の地」の碑がある。

 

 

◆概要

名称:南条元秋の墓

所在地:鳥取県東伯郡湯梨浜町長和田

駐車場:無

ホームページ:

●アクセス

鉄道・バス:JR西日本山陰本線倉吉駅下車・日本交通バス松崎北方線乗車7分長和田下車約450m徒歩6分

自動車:山陰自動車道はわいICより鳥取県道320号羽合東伯線・同248号長江羽合線・同200号長和田羽合線経由約4.5km6分

 

◆参考文献

『山陰の戦国史跡を歩く【鳥取編】』 加賀康之 著 ハーベスト出版 発行