40年ぶりに先輩のチングと連絡取れた | 星州李氏の京都アジョシ

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アジョシの日常あれこれ

私には40年前 北陸の地方都市の同じ職場で働いた
2年先輩のチングがいました

後に 私たち家族は京都に転居して彼と別れてしまう

後に風の便りで聞いた
彼も家族で引っ越した 彼の母親の出身地山形市へ

そんな彼の消息を 昨年 在日同胞社会の新聞を通じて知った
山形の同胞の皆さんのイベント記事に彼とお母様が出ていた
集合写真にも出ていて その時は「あー 彼は山形で頑張って
暮らしているんだ」と懐かしさと嬉しさが込み上げて来た

そんな私に 今年 突如東北の仙台へ行かねばならない事情が生じて
コレはチャンスとその際に山形へ寄り彼と懐かしい再会を
果たしたいと願う気持ちが強く芽生えたのでした

早速 山形の彼へ手紙を送った 家の住所はわからないので
彼の職場へ送ってみたのです

すると 2日後に電話が鳴り彼の懐かしい声が聞こえた
連絡がついた瞬間でした40年ぶり

夢中で話をする

私が秋にそちらに行くので会いましょう ついては
LINE交換しましょうと言うと


「あのー 最近までアナログ電話でやって来て
つい最近にやっとスマホを持った」

「使い方がわからない」と言うので

私が「職場に若い子いるでしょう」と言うと

彼が
「ここで一番若いので70歳」


「そこはどんだけ田舎なの?」

笑い話しのような問答の末
1週間以内にLINE繋げると約束をする事が出来た

彼は「購入したスマホの通信会社へ行って教えてもらう」と言っていた

懐かしい声の彼とお笑いのような問答を繰り返しながら
声では笑い 目に涙のようなものが溢れて来た

こう言うのを 笑い泣き 泣き笑いと 言うのでしょうか?

歳をとり 昔懐かしい人に巡り合う コレは 
人生の醍醐味のひとつなのでしょうね。