少し前ですが、レインボーリール東京で上映された韓国映画「遠地」(原題:정말 먼 곳)を観てきました。





韓国北部の雄大な自然に囲まれた村の牧場で住み込みで働く主人公。

双子の妹が置いて行った幼い姪っ子と、牧場主の一家と共に静かに暮らしていたが、彼にはソウルに長年連れ去ったパートナーがいた。

その彼を友人として村に呼び寄せて共に暮らし始めたことと双子の妹の突然の来訪をきっかけに、平穏だった彼の生活は思わぬ形で変化していく。



まずとても好きな映画でした。

なかなかに絶望するストーリーなのだけど、

全編通じて時に優しく、時に恐ろしく存在する自然の描写が最終的にすごく救いを与えてくれる。


"それでも命は巡っていく"という一縷の希望を見せてくれるラストシーンも、物語の余韻を決して悲しいだけでは終わらせない深みになっていました。



鑑賞中からひしひしと感じていたことは、

・必死に築いてきた"普通の生活"が第三者の感情によっていとも簡単に崩されてしまう恐怖。

・己のマイノリティな部分のせいで選択肢が限られてしまうという現実。



静かなところで心穏やかに暮らしたいという主人公の願い/選択は当たり前に受け入れられるはずのものである(また彼の努力もあってその当たり前を手にしたかに思えていた)のに、

彼のアイデンティティの中のたったひとつが明るみになったことで手のひらを返したようにコミュニティを追われてしまう現実に恐怖と絶望を感じ、しばらく経ってから共感も覚えています。



僕自身の話をすると、



自分のいくつかあるアイデンティティの中で"性的指向"の優先順位が高くない、というか然程重要ではない、と思って生きてきました。


それは、

人と違うから隠さなきゃいけない、というのもあるだろうし、自分の他の部分を見てもらえればきっと認めてもらえる/許されるはずだと思ってるんだと思います。(あまり深掘りしたことないので曖昧)



大学進学と共に上京して、そこから比較的大都市圏で10年近くを過ごしていたのですが、都会の生活だとこういったことでのストレスを感じることはほぼありませんでした。


ただもうこれも10年近く前になるけど、

地元に戻って働き出した時に一度だけ、僕が長期で職場を不在にしている間にその性的指向の部分を(噂レベルではあるけど)ある人が広めて、

戻ってきた時に上長にダイレクトに質問されるということがありました。


その話をした人と僕は同じ会社の違う部署で、数回挨拶程度の言葉を交わしただけの人でした。


普通に聞いてくる上長にも今思えば腹が立つし、言ったやつなんなんだとも思うけど、

とにかく自分から話していない、仕事には関係ないと思っていたアイデンティティが他人から噂レベルで周囲にじわじわ広まっていくという体験がショックでした。


表立って何かされたということはなくて、僕の場合はその後も数年間同じ職場で働けたことはよかったですが、今もそのショックというか、怖いなっていう感覚だけがずっと残っています。


仕事は違うけどいまも地方で暮らしていて、そうした周囲の目というか、予期せぬきっかけで有る事無い事噂が広まって、影でいろいろ言われるんじゃないかという不安は常にあります。

コミュニティの小ささ、みたいなことが温かさを感じる時もあるけど、窮屈な時の方が多いです。



だからアイデンティティの面で言えば、都会よりも地方で生きることの方が僕の中では何倍も難しい。



恋人と地元で一緒に暮らす、なんて夢見たことはあるけど結局全く現実にできずにいますし、

実家の近くではなくて、それこそ作中のように静かな山の中だったら、とぼんやり思ってるけど、そこにもコミュニティはあって、そこに受け入れてもらえるかどうかってもうガチャみたいなものですよね。コミュガチャ。



法整備が進むことで過度に理不尽な差別はなくなっていくべきだと思いますが、

個々人の感じ方捉え方は規制されるものではないし、意識改革のようなものは必要性の議論から始まっちゃいそうで、正直待ってられません。



となれば結局受け入れてくれる場所を探していかなくてはいけなくて、時に映画のようにそうやって選択した場所を追われることもあるというリスクを常に気にしなきゃいけない。、



あーそんなのきっついなぁー



少しだけマシな世の中というか、

こちらのわがままかもしれないけど、

そのままを気にせず受け入れてもらえませんかねー



怖い思いはしたくないよ



あと、上手いことフィットした生活を送れる人はいいんだけど、

そうじゃない人たちのための受け皿が行政でも民間でもできるだけ多くあるといいなと思います。

声をあげられない人の声こそ聞いてほしい。



作中の彼らもどうか幸せであってくれ。、



なんか鬱屈した帰着になってますけど、映画自体はとても良いのでどこかで機会があれば。