『崩壊した竹田恒泰氏の真正護憲論批判(2)』

國體維新あづさゆみ顧問  山岸 崇


竹田氏の虚妄の憲法論については、もうこれ以上はあまり語る必要もないかもしれないが、更に問題点を論じておこう。


ーーーーーーー 以下引用 ーーーーーーー

私はですね、無効と言うほどの瑕疵はないと思うんですよ。さっき言ったみたいに、表面上の手続はやってますから、それでいて60年以上修正をしてこなかったわけですから、もちろんこれから変えていかなければいけないんですけどね。ほんとうに日本人が変えようと思ったら変えれることできたわけですからね、はい。ですから私はちゃんと手続を踏んで合法的に憲法を変えたのが日本国憲法だと思ってます。

ーーーーーーー 引用ここまで ーーーーーーー


表面上の手続はやっている、とは占領憲法の成立において、大日本帝國憲法所定の手続がちゃんと採られていた、ということを言っているのである。これまた、歴史的事実に反する虚言である。

これまた、調べて頂ければすぐに判明することであるが、占領憲法の成立過程においては、その帝國議会における審議の最中に、公職追放が行われ、議員たちは、次は自分の番か、とびくびくしながら審議していたのである。GHQは議員たちに対して、陰に陽に様々な圧力をかけつつ、占領憲法の審議をさせたのである。これを以て、どうして表面上の手続はやってます、などといえるのか?占領下において、圧力と銃口に晒されながら審議しても、それは審議とはいえない。

こんな状態において、それでも手続はやってます、などというのは、それこそ暴力と不法を肯定するものといわれても仕方ないではないか。

竹田恒泰氏よ、貴殿が憲法学者を名乗るのであれば、学者としての良心に照らして、暴力と不法を肯定するような見解を堂々と披瀝することを恥じよ。


ーーーーーーー 以下引用 ーーーーーーー

あ、これ言っておかないと。もし、憲法改正の手続の違法性があった場合何が起きるか。違法があったら無効になるんじゃないですね。違法性があった場合は、前の憲法と新しい憲法の間に法的連続性がなくなるだけなんです。だってそりゃそうでしょ、だって、フランス革命だってそうですね、ルイ王朝があって革命を起こすわけですから、まさに革命ですよね。はい、で、新しい憲法ができました、手続は合法的なものじゃない、だとしたら前の憲法との法的連続性が否定されるだけの話です。憲法の有効性は変わらないです。憲法は有効です。ただ、前の憲法との法的連続性が否定される。つまり、革命憲法だと言うことです。だから憲法無効論は即革命憲法論なんです。ということは國體破壊されたということですよ。ということは今の日本は日本じゃないということです。もし革命が起きてたら日本じゃないでしょう。私は革命が起きてないと思っていますし、戦前の天皇はそのまま戦後の天皇だと思ってます。國體は変更されてません。君民共治の国は帝国憲法も日本国憲法も同じものですよ。もし、憲法無効論者のいうことが正しかったら日本は革命を経験したことになり、もしそうだとしたら私は今の日本国が日本国という国号を名乗っていることを軽蔑しますね。

ーーーーーーー 引用ここまで ーーーーーーー


軽蔑されるべきは、竹田氏よ、貴殿の理解の足りないところである。順を追って説明しよう。

占領憲法は、その基本的精神を、國民主権・基本的人権・平等主義などの理性崇拝思想、いわゆる左翼思想においているものである。従って、占領憲法は、それが憲法典であるならば、革命憲法というに相応しいものである。

ならば、竹田氏の言説は正しいのかというと、これがまた全くの誤解ないし無知によるものなのである。

というのは、先にも述べたように、真正護憲論は、占領憲法は憲法典としては無効であるが、講和條約として有効であると主張しているのである。占領憲法が憲法典であるならば、これは革命憲法であり、我が國の國體の破壊につながるのだ。しかし、真正護憲論は、占領憲法は憲法典ではなく、講和條約に過ぎないと主張しているのである。

竹田恒泰氏は、この点をご存知ないのか、それともごまかしているのか、占領憲法無効論に対し、全くの見当違いの論難をしているのだ。

つまり、真正護憲論によれば、占領憲法は講和條約であって憲法典ではなく、大日本帝國憲法が憲法典として現在も存在しているとするのである。当然のことながら國體は変更されずに存続しており、天皇も皇室も大東亜戦争前後も何ら変わりなくいらっしゃるのである。ただし、真正護憲論が問題としているのは、そうであっても、占領憲法や占領典範を、憲法典であり、皇室典範であるとしていては、我が國の國體はゆっくりゆっくりと破壊されている、ということなのである。

さて、そうであれば、竹田氏よ、占領憲法を憲法典として有効だと主張しているのは、紛れもない貴殿らである。左翼思想満載の占領憲法は、これが憲法典であるとすれば、紛れもない革命憲法である。すなわち、貴殿ら占領憲法有効論者は革命憲法を肯定し、我が國の國體破壊を肯定しているのだ。貴殿は、巧みに話をすり替え、事実と全く逆の論説を流布したのである。そのような誤摩化しに、皆が騙されると思ってはいけない。

最後になるが、以下の箇所についても批判を加えておく。


ーーーーーーー 以下引用 ーーーーーーー

憲法を無効を主張している人は、憲法学者の中にはいません。今はね。かつて一人二人いましたけど、今はないです。だから憲法学者は全員有効論を唱えています。私も有効論を唱えていますし、もちろん小林節先生も有効論を唱えています。憲法無効論を唱えている人はですね、まあ法律学者ではいないですね。たとえば石原都知事とか、前都知事とか、あとは渡部昇一先生とか。まあ渡部昇一先生とかは私は尊敬している先生なんですが、憲法だけに関しては私意見が違います。それから無効論を唱えているのは、西村慎吾先生とかね、あ、南出さんは憲法学者でないですから、弁護士ですから、まあ学者から見たら素人ですから、学問上の論文を書いていない方ですから。法律学者としては、憲法無効論者はいないです。弁護士とか、政治家とかね。何人かいる、そのぐらいですよ。

ーーーーーーー 引用ここまで ーーーーーーー


竹田氏は、憲法学者には占領憲法無効論を唱えている者はいない、だから占領憲法無効論はおかしい、という論調で述べている。学者から見れば、それ以外の者は素人だ、というのである。

しかし、それならば竹田氏は、憲法学についての専門的な論文を書いたことがあるのだろうか。また、占領憲法が有効であるというならば、その有効性の論拠について、学者としての良心に恥じることなく、謙虚さを持って考究したのだろうか。

もしもそのような態度を以て占領憲法の有効性について考究したのであれば、たとえば我が國の占領下において、大日本帝國憲法の改正の審議がなされたということについても、その不法性、不当性についてもう少し敏感になることができたであろう。竹田氏の「学者から見たら素人」という態度はあまりにも傲慢であり、人としての道に悖るものである。

竹田恒泰氏が、教育勅語にもあるように、「恭倹己を持し」て、旧宮家の一員という立場に恥じない態度を取られ、学者としての謙虚さを良心を以て、我が國の國體を守る為の学問活動に邁進されるようになることを、切に求めるものである。

<以上>