クォン・サンウで生きるということは耐え忍ぶことなのか? | 1・2・3woo クォン・サンウ ラブリンス(Kwon Sang Woo Loverinth)

[スター、スターをいう]クォン・サンウ"演技派もビジュアル派ではなくて…どのあたりきたのだろうか…数年目悩み中"




1・2・3woo  クォン・サンウ ラブリンス(Kwon Sang Woo Loverinth)-記事4・19


私は誰であろうか? 私はどのあたり来ている演技者であろうか? 数年目この悩んでいる。 答がない。 以前に‘天国の階段’時のように突然の人気に気が気でない毎日を送っているものでもない。 それでも盛りが過ぎたようでもない。 ファン・ジョンミン、キム・ユンソクのように演技派俳優でもなくてチョ・インソン、カン・ドンウォンのようにビジュアル派ではない。 それでも映画だけする演技者でもなくて、ドラマだけ固執することもない。


アイデンティティ苦悶に陥った。 もう少し率直に話そうとするなら危機感だ。 アイデンティティ悩み49%、危機感51%. 誰による危機感かと尋ねるならば、後輩演技者によったことであるかといえばそれもまた違う。 事実私をはじめとして30代半ば世代俳優は幸運だ。 幼い俳優があまりない。 それでさらに永らくスクリーンとブラウン管の主人公で活躍できるようだ。 私の危機感は単純に比較の問題ではないようだ。 それが何かわからなくても….


時間は本当にはやく流れた。 デビューの時だけでも10年だけ仕事をして止めるという話をしばしばした。 今見て回れば生意気だった。 だが、当時には実際そのような心だった。 今はかえって私をちょっとどのように引っ張ることができる演出者に会って今のこの苦しい現実を突破したい気持ちだけだ。


私は喪服がない俳優だ。 上嫌いな人がどこにいるか? 良い常道受けたくて永らく主人公で、スターで生きていきたい。 それが率直な私の心情だ。 今はスターで主人公だがいつかは生活演技者になるという考えなかったのでもない。 ところで暮らすために演技をしなければならないという考えに留まると悲しかった。 年を取っても素晴らしい演技者で、主人公に残りたい。


風と違い芸能界は消耗する所だ。 それで新しい作品と代表作に対するのどの渇きが深刻化されているようだ。 その間俳優クォン・サンウで生きていきながら難しいことはみな体験したようだ。 もうさらに大変なことはないためにものさびしく演技を渇望することなのかも分からない。


瞬間毎、くやしくて大変な時ごとに私は正面突破してきた。 それだけ私自身に堂々としたし、大衆に堂々としていた。 熱心にしたためだ。 そのためにりりしくて堂々と持ちこたえることができた。 今でもそのように耐えたし、今後もそうするだろう。 過ぎた時間より今後の時間がさらに重要でしょうが…. もしかしたらクォン・サンウで生きるということは耐え忍ぶことなのかも分からない。



                                          文・画像etoday