
香港が生んだ世界的スター、ジャッキー・チェン(59)のアクション映画ももうこれで見納めとなり、大勢のファンたちはさぞがっかりしているに違いない。ジャッキーが監督、製作、脚本、主演を務めたアクションアドベンチャー「ライジング・ドラゴン」。一歩間違えば命を落としてしまう、ギリギリのきわどいパフォーマンスをファンに披露することを信条としてきたジャッキーがノースタントで締めくくる最後の作品。一体、どんな心境で挑んだのだろう。北京滞在中のジャッキーがSANKEI EXPRESSの文書による取材に応じた。
■安易な道は選ばず
「これ以上、映画を撮ってももう面白くないと思ったからです」
アクションスター引退の理由について、ジャッキーは気持ちいいほどキッパリと答えた。10代から武芸に精力を注ぎ、スタントマンとして地道にキャリアを重ね、やっとの思いで手にしたはずのスーパースターの地位。だが、手放すことに本人はもはや何の未練もないようだった。
引き金になったのは、来年還暦を迎える「年齢」だった。「自分も若くない。これから先、撮影中の事故で車イス生活を送りたくありません。だからアクションではない別の種類の映画を撮りたいと思っています」。映像技術が発達した今、現実離れしたアクションもいくらでも「調整」できるのでは? だが、ジャッキーはやすきに流れる道をかたくなに拒んだ。
映画人としての人生観はかなりストイックなものだ。「僕は自分の良心に恥じない映画を撮ってきました。監督として大切にしているポリシーは、自分の息子や世界の子供たちに素晴らしいものを見せるということです」。実際、本作でも、ここで内容を明かせないが、ジャッキーが子供たちに思いを込めたメッセージがたくさん散りばめられているそうだ。
■人助けと平和願い
ただ、こうした思いに純化されるまでには長い時間を要したことも事実だ。昔はとにかく、そのとき腹いっぱい食べることばかりを考え、将来の展望を描く余裕などまったくなかった。しかし、そんな中でもいつも胸に秘めていたのは「今やっていることにベストを尽くすこと」。それによって映画人としての成功があり、今になって、結果的に人生観というものも作り上げられたと感じている。
東洋人のすごさを世界に知らしめた意味でアクションスターの先駆け、ブルース・リー(1940~73年)への思いも気になるところ。ジャッキーは「僕も彼ほどの成功を収められれば早く死んでも悔いはありません」と敬意を示した。今後の活動については「どう人助けをし、世界平和へとつなげるかを念頭に映画をつくりたい」と力を込めた。4月13日、全国公開。(高橋天地(たかくに)/SANKEI EXPRESS)
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■Jackie Chan 1954年4月7日、香港生まれ。10年間、京劇の舞台で演劇、歌、アクロバットや武術の訓練を受け、スタント役者として活躍。その後、80年「ヤング・マスター 師弟出馬」などで主役を勝ち取り、アジアでスーパースターの地位を確立。95年「レッド・ブロンクス」は全米で大ヒットし、世界的な名声を得た。最近の出演作は2010年「ベスト・キッド」など。