インターネットの発展で、言葉がいっぱいあふれているように感じます。
その中でも、いわゆる専門用語もたくさん使われていて
心理学や精神医学に関するもの・・・特に、診断名
例としてADHDを使いますが・・・
医師から診断されていないのに、「私はADHDなんです」、「うちの子は、ADHDなんです」と宣言?断言?を
目や耳にすると、「う~ん・・・」と複雑に思うこともあります。
(まだ「ADHDっぽい」とか「ADHD傾向」といった言い方だと違和感はないのですが・・・)
診断名は、診断基準があります
よく、ADHDやASDが使われますが、2つだけではなく、他にも発達に関する診断はもっとたくさんあります。
「○歳までに発症」や「症状が○ヶ月間、続いている」などの年齢・期間の情報も使います。
発達に関する診断は生まれつきの前提なので、大人の場合は子ども時代の様子もふまえます。
子どもの発達は未知数なので、長いスパンでみることも大切です。
また、生まれ持った気質だけではなく、育った環境も大きく影響しますので
いろいろな情報を総合することが必要です。
そして、医師が診断をします。
言葉でくくると・・・
「ADHDだ」と、ラベリング・・・言葉でくくってしまうと
理解できた部分もあり、なんだか謎が解けたような、安心した気持ちになるかもしれません。
お子さんのことなら、「私の育て方のせいじゃないんだ」と安堵されるのも良いと思います。
しかし、くくった言葉にとらわれて、「ADHDだから○○だ」と何でもかんでもADHDに結びつけてしまう怖さも感じます。
○○さんのADHDな部分なのに、「ADHDの○○さん」となってしまうのは・・・辛い
お子さんに「あなたはADHDだから・・・」と言い続けると、ADHDとしてこころに植え付けられててしまう気がします
また、言葉でくくって・・・はい終わりは、・・・悲しいっ
診断は、辛さを和らげる、人生の質を上げる為のヒントの一つだと思います。
ADHDであるならば、どんな工夫をしたらよいのか、どうしたら楽しく過ごしていけるのか
それを見つけることが大事
ありのままの言葉で・・・
私も、こころの中では、とりあえず言葉でくくってしまうこともありますが・・・
行き詰まります
それは、診断からのある程度の対処法がみつかっても、他にもいろいろな要因がからんでいたり・・・
なによりも、「ADHDの○○さん」ではなく、「ADHDの部分も持っている、この世で一人しかいない○○さん」だからこそ
この世で一人しかいない○○さんに合った方法を見つけていくしかありません。
私としては、言葉でくくらず(ラベルの言葉はヒントにして)、ありのままの言葉を使うように努めています。
ADHDで困っているのではなく、「片付けが苦手で困っている」といったように
たかが、言葉。されど、言葉。
大切にしたいです