もう2022年も終わりです。この1年私は非常に充実していて、仕事・子育て・家事(はどうかしらんが)というお手玉もうまく回せました。

 上司との面談で「病気になる前以上の働きぶりで、助かっている。今の仕事がすごくFITしている」と言われて嬉しかった。

 

 しかし、

 電気けいれん療法で劇的に回復して終わりではなかった。 

 勝手に自己宣伝しますと、この体験記の多分ほかにない部分は

 ・産後うつの克明な言語化

 ・精神科病院への入院、回復

 ・そして複数の再発

 ・電気けいれん療法の体験

 

 なのであるが、ここにまだ先がある(ここまで書いてきた、そしてこれからは)

 

 ・2年2か月の育休+療養を経て復職 

 ・そして3回目の再発、入院

 ・家族との不仲(先の見えない精神疾患の家族を抱える家族の葛藤ともいえる)

 ・3度目の正直?私のうつは「ADHDの副次的なもの」診断

 ・精神科医がなかなか言わない「絶対に治る」という主治医との出会い

 ・MRI検査、電気けいれん療法2度目

 ・そして再復職、「もう再発しない自信がある」状態までの回復

 というロードマップ。

  

  私が個人的に振り返ってみて、これは産後うつを超えたケーススタディとしてぜひ書き越しておきたいのが

  「わたしのこのうつの発生源のひとつにADHD的要素がある」と診断をした3回目の病棟主治医だ。

  通知表を実家から取り寄せ、またも知能検査などをやった結果だ。

  実際に診断書にそう書かれた。

 

  だが、その病棟主治医の上級医でいまの主治医の今の結論はこうだ

  「ADHDのケがあるわけで、それが障害となってはいないので、僕はそう診断しないことにする」

  だった。

 

  この2人はいろいろと違うアプローチで私の根底を引き出してくれたと思う。

  私としては、ADHDっけがあるということで点と線がつながるところもあり、家族への理解も進んだところもあります。

 

  では、行きますか。復職編!

  といってはみたけれど、次回に。