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すこしでも、あまり知られていない治療法のことなので経験談を書いていけたらと思っています。

では本編

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治験者(被験者)募集のチラシを主治医のA医師に見せた。


「先生にご相談です。再入院して確かによくはなっていますが、退院して子育てして家のことやってとできる
気力がわかない、というのうは前にお話ししたと思います。正直、このままずるずるいくのは嫌なんです」

「TMSですか。大学病院に問い合わせしましたか?」

「はい。A先生のOKが出たら条件の確認なども込みで、面談をしましょう、となりました」

「薬剤調整は何かいっていましたか?」

「イフェクサー単剤ということです」

「イフェクサーですか、変更しても問題ないと思うので、TMSやるか別にして薬剤調整に時間もかかりますし、
早めに、面談を設定したほうがいいと思います」

 

「では、そうさせてもらいますね」

 

「面談時に紹介状は必要ではないですよね」

 

「はい、それは言われていません」

 

ここで思ったこと。

1,そういう可能性のある治療があることを知っていてもこの病院では知らされることはないんだ、という情報の非対称性というか、医療者に比べて圧倒的に情報が少ない。情弱さ

 

2,そしてその治療をしたいといっても、「自分でどうぞ」

 

なのだ。

このころの私は退院はでいないかもしれないが、こうやって自分でリサーチをして条件を自分で交渉できるくらいまでになっていた。

しかし、そうではない場合、選択肢にもたどり着けないんだとなんだか、悪寒がしたのを覚えている。

 

すぐさま、大学病院に電話した。

翌日の午後2時に面談の約束をいれたのだった。

大学病院には転院できないので、そこから1駅くらいのS病院がもしも治療をするなら「滞在」先になるのだが、そこも見ておきたかった。

電話した。事情を説明して、事務の方が対応で見学させてもらうことになった。

同じ日の午前11時に。

 

外出が許可される午前10時きっかりに病院を出た。

あの日、外来待ち合わせで募集のチラシをみてから6日後くらいだったと思う。

 

午前11時ちょうどにS病院についた。

「なんて古いんだ・・・」

それが最初の印象だった。正直、暗鬱な気持ちになる古さだった。

 

その時入院した病院は建て替えてからさほど立っておらず、天井は高めだし、なんというか全体が明るい雰囲気だったのだが、このS病院はくすんだ、古ぼけた建物だった。全体の生気がない。

 

「治療のためだ」

事務の方が、部屋の料金表を見せて説明してくれた。

個室だと1日約9000円の差額ベッド代がかかる計算だ。つまりは、数十万単位。しかも洗面台なし。

「こんなに古ぼけていて、洗面台もなくて、ご立派な値段なのか・・・」

 

「個室にもランクがありまして、最上階もあるのですが、ここは空いていません」

値段を見ると、1日2万5000円と書いてある。

 

 私は聞いてみた。

 

 「あ、●●さんがずっと契約されているからですよね」

 

 そう。この病院をGoogleで検索すると、とある有名人の名前が候補に出てくる。

 精神疾患がある方で、精神科病院に「住んでいる」ことをインタビューなどで明かしている。

 もちろん、病院名は明かしていないが、私は、カマかけてみた。

 

 「まぁ、患者さんの個人情報は申し上げられませんが・・・」

 

 うん、クロだ。これは。

 

 軽く病棟を見せてもらった。開放病棟で人もまばら。9000円の個室を見せてもらったが、げんなりした。今の病院のほうがはるかに良心的な値段だ。

 こんな古ぼけた病院でもやっていけるのは、この立地だからなのだろうか。

 精神科病院界隈の事情に興味がわいた。 

 

 午後に、大学病院にむかった。

あぁ、いつ以来だろう。学生の時に、試合中に足をひねって靱帯損傷で夜間に駆け込んだときか?

いやいや、とあるVIPが入院して、その張り番以来だ、と思った。しかも張り番は過去3回くらいやった気がする。

縁がないわけではなかった。

 

 そんなに広くない控室に通された。

 そこに、年のころは30代後半~40代前半くらいだろうか。

 N医師がやってきた。

 

 「rTMSのご希望で、●●病院に入院中ということでしたね」

 

 「電話でも大学病院には転入院はできないというお話はしいましたが、退院して通えそうですか?」

 

 「S病院、実は午前中に見学してきたのですが、個室の空きもありそうですし、大学病院にもバスで1本でこれそうなので大丈夫だと思います」

 

 「あ、S病院なんですが、色々ありまして、受け入れできないことになったんですよ」

 

 「え??・・・・・」

 

 「ちょっと色々ありまして」

 

 「え?先日お電話ではそんなことは・・どうしてもだめなんですか?」

 

 「実はですね、あちらに入院してこちらに通院していた方でトラブルがあって。S病院側は、患者さんの体調が悪くなったり、不穏になっても、主治医こちらなので何もできないのと、他の患者さんとの兼ねあいなどもあって、受け入れやめることになったんです、ここにきて」

 

 私は、目の前が真っ暗になる、とか血の気が引くとはこのことだな、と思った。

 

 ここまで数日、いろんな情報をあたり、自分で調整し、午前には病院の見学までして・・・私は一体なんだったんだ。

 

 涙があふれてきた。

 

 「先生、それは、ないんだじゃですか?私、ここ数日、このために色々調べて家族にも相談して、電話もして、病院まで見学して、ここまでして、それでも治療法ないかってもがいてここにきているんです。それはあんまりではないですか?」

 

 号泣していた。もうお前には何の選択肢もないんだよ、なんか無駄だよって言われたようで。

 

 N医師は

 「本当に申し訳ありません。せっかくなのですが・・・」

 

 「なんとかしてください、先生。だってここの病院にもベッドはあるでしょ?入院できるなくないわけないですよね?」

 

 「ダメなんですよ。この募集は、通院ベースなんです。もしも仮に入院がOKだとしてもうちは、規則で1か月しか入院できないですし、このrTIMSは入院の治療ではないんです」

 

 私は、はい、そうですか、引き下がれなかった。必至だった。

 

 「先生、じゃ、私はどうしたらいいですか?このまま●●病院で療養っていって、薬飲んでゆっくりして、治るんですか?」

 

 「電気試されたらどうですか?」

 

 「え?」

 

 「電気けいれん療法です」

 

 こうして、私は最後、たどり着いた。