年の瀬もせまってきた3連休に、一家で広島に行った。宮古島から2か月。

 

 今回は、羽田空港近隣のホテルに泊まる前泊はしなかった。朝早くて、旅のしょっぱなからがっつり疲労。

 

 今回の旅の目的は、友に会いに行くためだった。いや、親友だ。

 

 私の病気のことは、入院中からよく知っているし、私の性格もよくわかっている理解者だ。

 

 2歳の息子さんがいるが、マスコミでバリバリ働いている。

 育休明けから、時短ではなくフルタイムで。とにかく明るくパワフルな子だ。

 

 戦略的に義実家の近くに居を構え、お迎えと夕飯は義母にお任せして、夫婦の分の夕食は、総菜ですませて、絶対に作らないと割り切っている。

 

 

 「使えるものはなんでも使う。できないことは、やらない、捨てる。取捨選択よ!」

 

 と言っていた。

 

 しかし、一番そばの「使える」人であるべき夫だが、彼は全く家事をやらない。

 

 おむつ替えもおしっこの時だけは「手伝う」が、うんちのおむつを替えたことはゼロ。

 今でも信じがたいが、「俺、そういうのできないから」だそうだ。

 

 夫には何も期待していない、という。そうはいっても、ひとつ屋根の下で暮らし、働く者同士。不公平感がイラつくだろうに。

 しかし、彼女の場合は、期待するだけ絶望指数があがってしまうので、「もう空気だと思っている」そうだ。すごいよ、アンタ。

 

 その旦那さんも一緒に、2家族で座敷で日本食をいただいた。

 私側の夫にも、折に触れて「うんこ替えない」エピソードを吹き込み、「それに比べたらうちは、神!」と言っておいた。

 

 男同士、日本酒を酌み交わしていだが、私は、「うんち替えない旦那」を前に、自分の夫と結婚してよかったと正直思ったのであった。

 

 翌日には、子連れ同志で宮島へ。

 3歳児と2歳児のふたりは大盛り上がり。鹿には大興奮だった。

 

 下の子は、夫にベビーカーで押してもらい、少し離れて、彼女と並んで歩いた。

 

 「どうよ、仕事と家事と育児の状況は」

 

 「まー日々、ギリギリやけど、捨てるもん捨てとるから。保育園の送りと夕飯づくりがないだけで全然違うよ」

 

 「でもさ、毎日総菜だと、旦那さん、文句とか言わない?」

 

 「何も家事やらないんだから文句言う権利ないし。あと、こだわりないんだよね、旦那も。ビールさえあればいい、みたいな。毎日、飲んでいらっとするよ。太っててて、血圧めっちゃ高いし。それでも自制しようとしないし。親になった自覚がないんだよね。ぶっちゃけさ、最後の最後、脳梗塞とか心筋梗塞とかで旦那先に死んでも、私で子ども養っていけるし。食っていけるし。だから、正直病気になるなら、介護なしでさっぱり逝ってほしい」

 

 「さすがだな・・」

 

 芯があってまっすぐ立っているそんな彼女だ。

 

 宿に帰ってきて考えた。楽しかったのだが、私のもやもやが消えない。なんだろう。

 

 翌朝、ものすごく落ちてしまった。

 

 旅の疲労と、バリバリと働いている親友と触れ合ったことで、刺激された何か。

 

 彼女がうらやましいのか、いや、たとえ同じような条件にしたとしても私は前線へ出ていけるのか、私は何がしたいのか、グルグルと回る。

 

 帰りの空港で買った生もみじ饅頭を、翌日、むさぼるように食べた。

 

 次回、シラミ潰し