再発した。
うつ病が。
入院を経て産後うつからあれだけの時間をかけて這い上がった私。
しかし、再燃した。
うつ病の症状がおさまった状態を「治った」と言わずに、「寛解」と医療関係者が表現するが、その意味もよくわかった。
厚生労働省によると、うつ病の再発率は60%。
これを高いと思うか低いと思うか。5人のうち3人は再発するのだ。
うつ病克服を描いたものは、寛解してハッピーエンドなものが多い。私もそうありたかったし、産後うつと今立ち向かっているママさんが
「何、闘病して克服しても再発するの?」という現実に打ちのめされてしまうのではないかと、正直考えて、「その先」を書かずにいた。
私自身も、もういいだろうと思っていた。
しかし、また書こうと思った。
それは、自分自身の記録でもあるし、次の治療法を求めてさまよったときの孤独、そして光。それを共有したいと思ったからだ。
何気ない幸せな日々、
謎の手足を襲う疼痛、
4人で飛び出した海外旅行、
家事・育児をめぐる衝突、
空白の日々、
まさかの再入院、
新たな治療法を求めた転院、
そして再びの寛解。
1956年度の経済白書「もはや戦後ではない」ではないが、私のうつ病との闘病は「もはや産後ではない」のであるが、タイトルはそのままにあえてしておきます。
私のうつは、産後から治まって、また再発して、治まって・・・
望んでもいない「6割」に入ってしまった私を通じて、うつ病闘病中の人はその思いや情報を共有してもらいたいし、反面教師としてもしてもらいたいと思う。
産後うつで退院後の後記はいくつか書いていて、一部重複しますが、お許しください!
そして、ここしばらく更新がなかったにも関わらず、日々、1000以上のアクセスがありました。
ありがとうございます!
他方で、産後うつが永続的で、日々赤ちゃんが生まれ、母が生まれるごとに一定数いることの証左でもあるのかなかとも思います。
いま、産後うつで悩んでいる方、必ずうつには出口があります。再発したとしても、です。
だから、何が何でも生き延びてください。それがいま言える私からのメッセージです。
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人間は忘却の生き物だ。記録のない記憶は、あいまいだったり、抜け落ちていたりする。
退院後、半年ちょっとは日記が続いている。それをもとに思い出していこう。
まず、退院後の1か月。
子供たちは、上の子が2歳、下の子が0歳。当時の写真や動画をみるとめちゃくちゃかわいい!きゃぁ!
そんな幸せからはにじみ出ない、私の実像は日記にあった。
私は、通常運転を取り戻そうと頑張っていた。料理もしていたし、洗濯もしていた。
退院から1週間で早くも、「落ちて」しまった。
朝、起きると体が重くて、絶望的な気持ちになる。
でも、私、立ち直らないと!と連日、作ったこともない料理に挑戦した。
キャベツのミルフィーユ、ホワイトソースと鮭でグラタン。
よくやった。
しかし、私は退院後初のカウンセリングで爆発した。
カウンセラーさんを前に、涙が止まらない。そこで、私から出た言葉。
「ほめてほしかった」
そうなのだ。夫からしたら、満を持して退院した私。戻ってきた日常を私も、必死に作り上げていた。
どんなに頑張った料理も、そもそも食が細くい上の子は、なかなか食べない。
食べ散らかし、床は食べこぼしでいっぱい。
夫も、特に料理をほめることもない。
そりゃそうだ。生活は続くんだから。
水回りが綺麗であることにこだわりのある夫。台所の流しが水滴が残ったままになっていて、「なんで拭いていない」と言われて、
私はキレてしまった。
「なんで、水回りはそんなにうるさいのに、このダイレクトメールの山はなんなの?ずっと置きっぱなしで。何がだめで、何が許せるのか、私はその匙加減に振り回されておかしくなりそうだ」
と大喧嘩だ。
当たり前に家事や育児ができていることが当たり前だと思わないでほしい。そのプレッシャーに押しつぶされそうだった。
カウンセラーさんからかけられた言葉は
「藤田さん、よくやっていますね。順調ですよ。ほめてほしいなら、それ以上に旦那さんに感謝を伝えましょう。旦那さんは何の家事をしてくれましたか?」
「お風呂掃除や、トイレ掃除、いろいろです」
「そのたびに、ありがとうっていいました?」
「言っていないです・・・」
「そうなんです、それが日常なんです。今日から伝えましょう。もっとありがとうを」
なるほど。ほめてほしいなら、まず、自分から。
うん。やってみる。
次回、写真共有アプリの罠。