17章に入りました。慢性期病棟に移り、入院生活は一変します。

 精神病棟の奥深くを見ることになり、ショックでした。でも、退院が見えてくる時期です。

 

●急性期ラストナイト

 

  慢性期病棟に移る前日、S医師と問診があった。私は、慣れた環境から、別の環境に行く不安を口にしていた。

 

 S医師「ま、同じ病院ですから、病棟違いますけど、大して変わりありませんし。私は継続して担当しますので」

 

 ありがとう、S先生。通常なら、急性期から慢性期に移る時は主治医は交代する。またしても、続けて担当してくれる、なんて、面倒くさいこと極まりないのに。

 

 しかし、先生、「大した違いがありましたから! 急性期と慢性期、全然雰囲気違いますから!」

 

 最後の夜、この1か月くらいお互い励ましあってきた、統合失調症のCさん(20代)と消灯の午後9時をすぎても、暗い談話室で話し込んだ。

 

 統合失調症の難しいところは、近年よい薬が開発されてうまく付き合っていけば症状が治まる(寛解)が、ストレスが増えたり環境が変わったりするとまた悪化して、幻覚や幻聴が見えるといった症状がでる。

 

 Cさんは、壮絶な幼少期を過ごしている。若くして結婚した両親の一番上の子として育ったが、父親はすぐに外にオンナを作り、母親は「あんたも浮気するなら、私も浮気するから!」と目には目で対抗して、家の中はすさんだ空気だったそうだ。母親は働いているのもあるが、ある種、育児放棄的なところもあって、妹の世話は小学生のころから、彼女の仕事だったそうだ。だから家事能力がとても高い。

 

 成績も優秀だったそうだ。地元の大学に行きたかったが、中学生になって、母親が再婚して、新しい父親との間に子ども(弟)ができた。

 

 しかし、

 「大学なんて行かないで働け、そして、子どもの面倒見ろ」と言われた。

  Cさんが言うには、「こんな親、死ね」と思う一方で「この母親、妹たちは私がいないと生きていけないんだ」という強迫観念もあって、家を出られなかったという。

 

 地元の企業に就職して、なんと、弟の世話は彼女がし、18歳にして保育園の送り迎えをやり、家事もすべてやっていたそうだ。

 

 上の妹さんが、高校を卒業し、大学に行くことになった。その時に目が覚めたという。

 

 「なんで私ばかり、我慢しているのだろう」

 

 すべてを放り投げて、高校生のときの同級生を頼りに、東京に来た。

 

 しかしわ就職先で人間関係でつぶれて、発症した。幻覚が見えてしまい、人と話していてもその後ろに人の顔が見えて、自分を罵倒する

 

 「お前なんて、死んでしまえ」「お前がどこに隠れようが見つけ出してやる」

 

 現実と幻覚の境がわからなくなって入院した。

 

 主治医の先生は、驚いたという。「ここまでの環境で育ちながら、よくまっすぐ育った。キミはよく頑張った」

 

 号泣して、崩れ落ちたという。

 

 その彼女は、このラストナイトでこう言った。

 

 「私、この病気が本当に嫌です。一生、付き合っていくのかって。でも、わたし、ここに入院してよかったです。藤田さんといろんな話して、すごく私のこと認めてもらって。心強かったです。ありがとうございました」

 

 暗闇でふたりで、泣いた。

 

 私 「わたしも、Cちゃんに会えてよかった。いつも、私が一時帰宅から戻ると、談話室で待っていてくれて、手をあげておかえりーって言ってくれた。私のどん底の時も、大丈夫ですよって言ってくれた。私こそ、支えてもらった。私も、病気になんてなりたくなかった。でもね、ここに入院して、Cちゃんにも、あとうつママのMさんにもEさんにも、守護神にも、会った。ひとつも無駄なんてなかったと思っている。ありがとう」

 

 ふたりでオイオイ泣いた。

 

 看護師さんが、来た。

 

 「ふたりとも大丈夫?そろそろ、お部屋に戻って寝ましょうかね」

 

 ふたりで、ナースステーションによって、睡眠導入剤を飲んでから、並んで廊下を歩いて各々の部屋に戻った。

 

 「こうやって、並んで廊下歩くのも最後だね」

 

 私は、感謝と不安と色んなものが涙であふれてきて、ベッドで泣きながらいつの間にか寝ていた。

 

 次回、チャイム違うし。