私は談話室にいった。
この病棟の守護神、Tさん(8-4 中国マフィアが俺を監視している参照)がいつもように、「よぅっ」と手をあげて声をかけてくれた。
「ここいいですか?」 隣に座った。
Tさん 「なんか、昨日あたりか、戻ってきてから、もううなだれて下向いてどうしたのかって心配したぞ、おい」
私 「ちょっと2泊3日の外泊、うまくいかなくてショックで。部屋にこもってました」
Tさん 「みんな心配してたんだぞ、姿がみえねぇって」
私 「すみません」
そこにうつママMさんが来た。
Mさん 「藤田さん、どうしちゃったの、心配したわよ、もう話しかけられるような雰囲気でもなくて」
私 「2泊3日、かろうじてこなしたにはこなしたのですが、一気に無気力になってしまって」
Mさん 「実は、私もだめで、切り上げてきたの」
え、私のいない間にそんなことがあったのか。
Mさん 「だから、藤田さんに聞いてもらいたかったの」
うーん、受け止められるか、でもここは聞こう。
Mさん 「子どもたちは、私がいない間、本当に成長していて。自分で靴磨いたりなんて私がいたころには絶対にしなかったこと。順調だったのに、家をウロウロ、もう座っていられなくて、もうこんな姿子どもたちに見せられないと思って、切り上げてきたの」
という矢先にも、Mさんは座っているのがきついようだ。
Mさん「ごめん、話の途中だけど、ずっとすわってられなくて。歩きながら話してもいい?」
Tさん「俺のこと気にすんな。もうさんざん話聞いたから。」
ふたりで、急性期病棟の廊下を永遠と歩いた。
私は、夫のことを冷たく感じたこと、ファミサポさんとの調整役が自分になったこと、自分が帰らないともう家が回らないこと。
Mさん 「旦那さんの冷たい態度、堪えるわね。でもね、藤田さんの旦那さんはそれ以上にもっと温かいわよ。いつも話を聞いていてうらやましいと思うもん。前に、泣きながら誰のために治したいといったら、子どもたちのために、そしてあの夫を幸せにしてあげたいって言っていたじゃない」
そうなのだ、私は、よく夫のことを自慢し、このひとを幸せにするのだと決めたのだ。
しかし、Mさんのことじっとしていられない症候群はもっとひどくなっていく。みていくこちらが悲しくなるくらい。
だから、断ることは断らないと私が引きずられてしまう。
「一緒に散歩に行きましょう」と言われたが、自分一人で過ごしたかったので、断った。
結構、勇気が要った。でも正直に言った。「一人で考えたくて」と。
その日、散歩の出た先で、ベストセラーになった田中圭一氏のコミックエッセイ「うつヌケ」を購入した。
いろんなひとの、「うつヌケ」のケーススタディが書いてあるのだが、一気に読んだ。
うつ、といってもいろいろタイプもあることもわかった。
私も、いつか「うつヌケ」できるんだろうか。
この「うつヌケ」は、私の回復の道までに書かせない本になる、それはのちに。
このあたりから、私のメモの量が増えている。
・できる料理集をもっと増やしていく
・あっちに笑ってほしいならこちらが笑う (たぶん、夫に対してだろう)
・きついことはきついといってお願いする
・断ることは断る
日曜日、先生が宿直の巡回に来た。私は、ナースステーションの外で待った。
先生が出てきた。
「あ、藤田さん。調子どうですか?」
「すこし戻りました。明日から2泊3日、当初通り行ってきます」
「無理はしないように、くれぐれも」
S医師に顔を見られて私はほっとした。
次回、「心の根っこを紐解きたい」の回。