●何か月ぶりだろう、ラーメン

 

週末がやってきた。前回と違うのが、自分の意思で病院を出て、なんとごはんも食べていいのだ。

たった1週間前は、何の食欲もなかった私が昼にむかったのは、ラーメン屋だった。

 

「塩ラーメン」が売りというそのラーメン店には行列ができていた。

そこに並ぶ。自由を心からかみしめていた。

一方で、私はかわいい子らを置いて、何、ラーメン屋なんかに並んでいるのだ、という罪悪感も一緒だった。

 

その足で、靴屋さんに行った。

いっぱい歩くために、スニーカーを新調した。ニューバランスだ。

紺色に紫のライン。買って帰って病室で笑えたのが、サンダルに履き替えて、今履いている靴と新調した靴を並べたらほぼ、色が一緒だったこと。人間の深層心理とは面白いものだ。無意識なのだから。

 

本屋にも行った。どうしても、子どもコーナーが気になる。

途中、子どもたちが恋しいこと、そして、そばにいてやれないさみしい思いを強いている罪悪感で売り場で立ちすくんでしまった。

ザワザワというより、血の気が引くような感じ。地面が抜けていくような。

 

しばらく嵐を過ぎ去るのを待った。涙は出てこなかった。

 

「絵本、ムウちゃんに読んであげたいな。できるかな?今の私なら」

本を2冊プレゼントに買った。

 

町を歩いていくと、とにかく子どもに目が行く。私は本当に子どもたちを育てることができるのか?できるんだ、自問していた。

そして、同時に罪悪感が私を満たす。

 

特に子どもが2人連れの家族は正視できなかった。

 

「みんなやっていることなのだ」

 

初の院外外出で結構疲れた。相当回復したとはいえ、やはり私の頭には情報過多なのだった。

こういうことなのだ。外部情報から遮断された院内と外との違いは。

 

それでも、あれだけ文字が泳いでいて読めなかった新聞も読めるようになった。

談話室で目を通した。そこに、深い記事があった。

 

「父母は唯其の疾を之憂う(為政二より)」=父母はただ、その病をこれ、憂う=親は、子どもの健康、最後願うのはそれである、ということ

 

という一文が乗っていた。論語のひとくだりだ。

 

ずっしり来た。ずっしり。

 

ごめんね、私のお父さん、お母さん。

 

そして、母として、ごめんね、子どもたち。

 

思わず写メった。

 

 親になると、とかく子どもに期待をする。いい子に、なるべく運動もできて、優しくて、勉強もできて、でも自分のしたいことをかなえて・・・もう無限大だろう。当たり前の健康は、デフォルトになり、それより欲がでる。

 

 想像してみた。ムウちゃんが、ルイちゃんが精神病棟に入院するさまを。

 新聞の紙面に涙がポツ、ポツと落ちた。

 やるせない。そんな思いをきっと、私の父母は抱いているんだろう。

 みんなのために、私はよくならないといけない。泣いている暇はないんだ。

 

 

●ちゃんとって何だろう

 

 「ちゃんと育てる」のCHANTOってなんだろう。

 

 私は今なら、自分のことを分析できると思った。うつ病になった根本を探せると思った。

 

 ノートに書きだしていった。

 

 ・上の子にきちんと応えてあげたい

 ・下の子もいて、家事+仕事+子どものケア、まわせるのか?

 ・外出 一人っ子がうらやましい?

 

 と走り書きがある。

 

 私は、子どもに最大限向き合いたい。私のキャパの上限はさほど変わっていないのに、それが2人分になって破たんしたんだ。

 その日は、それ以上追求するのは止めた。

 

 そのあと、TO DOリスト やりたいことリストを書き出した。

 

・病院近くで片道徒歩1時間くらいで行ける散歩ターゲット数件

・内祝いのお返し(と名前の羅列)

・確定申告の医療費控除明細書作成→PCの持ち込み許可

・会社に報告?

・次回、先生に外出距離無制限=一時帰宅を希望

 →わざわざ、どうやったら説得できりうか説得のプランが3つメモにあった

 

 A 冗談風に●●に行きたいと遠い場所を言ってみる

 

 B 子どもに会いたい。週末に入院後初めて、夫が携帯電話のスピーカーを使い上の子を会話をしたが、フラットな気持ちだったことを強調 前には上の子の好物のみかんを見ただけで号泣していた私が

 

 C 確定申告が必要で家に領収書を取りに行きたい

 

 私、どんだけ暇なんですかね。先生を説得するのに3案書き溜めて。

 

●会社の先輩に告白

 

 今思ってもこれが、入院して10日もたたない重度の産後うつのオンナがやることか?思うが、私はエネルギーを取り戻している。

 

 会社に報告するかは迷った。ものすごく迷った。

 

 自分の病気のことを正直に申告したらもう一生面白い仕事をやらせてもらえないんじゃないか。その怖さがあった。

 

 おそらく、そうやってうつ病を会社に告白できずにつぶれていくひとたちは多くいるだろう。会社によってはそれで、終わり、もう端パイしかあてがわれないループに入ってしまうということもあるだろう。

 

 何度か携帯電話で発信を押して、すぐに切ったりした(あっちで電話がなるであろう前にすぐに。ワンギリよりも前)

 

 でも、電話した。

 人事・厚生労務にいる先輩ママに、だ。

 なぜだろう。直属の上司にも知られたくなかった。でも、2児の母の先輩なら、と思って。

 

 絶対泣くまいと思っていた。

 

 先輩 「どうしたー?」(マスコミに特有かもしれないが、基本、後輩は呼び捨てで言葉も結構投げやり)

 

 私 「御無沙汰しております。育休をいただき、ありがとうございます。単刀直入に言います。私、産後にうつ病になりました。大変不本意でありますが、いま精神病院に入院中です」

 

 先輩 「・・・(絶句)そうかぁ。そうかぁ。辛かったろう。よく電話したな。話したいなら話せばいい、そうじゃないなら、話さなくていい、経緯は。」 

 

 私 「まだ、上には言っていません。言いたくないんです。ですが、何等か手続きが出てくるかもしれないので、人事・厚生労務に限られた方にはお知らせした方がいいかと思いまして。私、2人育児がこんなにつらいものだと思っていませんでした。●●(先輩)は、1人より2人の方が絶対精神的に楽だとおっしゃっていましたが、私は逆でした。潰れてしまいました。」

 

 もう最後の方は耐えきれずに泣いていた。嗚咽が出た。

 

 先輩  「子どもたちは預けるひとはいるの?」

  

 私 「はい、義理の母とわたくしの母が面倒を見てくれています」

 

 先輩  「心配だろうが、治せ。それだけ考えろ」

 

 私  「はい」

 

 文字面でみると、男性と話しているみたいだが、これで女同士の会話だ。

 

 先輩には、私がどういう経緯で入院したかも話した。最後にお願いした。このことはまだ伏せてほしいこと。先方からは、特定して2人、この人に話していいかと聞かれ、了承した。

 

 しかし、だ。私は心の奥底で、会社でそれ以外の他のひとが知れることになっても恨みっこなしと思っていた。

 

 ここだけの話とかいっても重要事項は共有されてしかるべきだ。会社とはそういうものだ。

 

 次回、涙の一時帰宅。