第7章も枝番9まできたので、第8章に入ります。
いよいよ単独院外外出も許可がおりて、私の行動範囲がぐっと広がり、それに伴って体調もドン上がりのころです。ただ、その回復基調をくじく不安定要素(重症新患者)に右往左往したりもします。
●卓球、しみじみ面白い!
私が入院中に今後、週に1度楽しみにする日が来た。
OTルームの、「運動の日」である。午前中だけだが、卓球台が出るのだ。これが本当に楽しかった。
卓球は、作業療法士さんに、エントリーを伝え、1対1の5分で決める。スコアをつけることはない。
勝ち負けで精神不安定になるひともいるからだと思う。
この卓球には、たいてい常連が集う。ひとりは40代くらいのキレキレの女性、50代くらいのおそらく何等かの疾患で腕はあるのだが体がついていかない女性。あとは後期になると、必ずキレキレのスピンをかけてくる20代くらいの男性が登場する。
エントリー数が少ないときは、この3~4人の組合わせで60分回したりもした。私は体力があったほうなので結構連投したりした。
キレキレの女性はおそらく卓球経験者だろう。いつも笑顔で、誰にでも腕をあわせることができた。この人は何が原因で入院しているんだろうと思っていた。そして、私が入院して1か月半くらいでおそらく退院された。
後者の50代の女性は、四肢にこわばりがあり、笑うという表情がないひとだった。なかなか、卓球が続かないので、こらえ性がない患者さんがたまにあたると険悪なムードになった。必ずキレキレのスピン男性と当たった時は、大人げなくコテンパンにやられてしまい、傷ついていたので、作業療法士さんが組み合わせをあえて変えたりしていた。
彼女がたまにラリーが続いて、勝ち点が入ると、無表情だったのが、少し笑みがこぼれる時があり、それを見るのが嬉しくて、無理な玉もなるべく拾ってつなげていた。
特に、このキレキレスピン君は、髪型も含めて稲中卓球部の主人公みたいな感じでかなり真剣で、手加減をせず容赦なくスピンキレキレの玉を打ってくる。結構、私はラリーが続くほうだったが、スマッシュが決まると、嬉しそうで、それでよかった。
私は、おそらく四肢に障害もなく若いほうだったので、連チャンもできるので「困ったときの藤田さん(by作業療法士さん)」でよく登板させてもらった。
私にとっては、この週1回の卓球は、外泊で留守にしない限り、絶対参加したいものであり、ものすごく息抜きというか、気分転換になった。
●癒し系Iさんとの出会い
入院生活にもリズムができてきて、患者さんたちと交流も広がった。
弱気なったときの私のよき相談相手になってくれたのが、Iさんだった。
Iさんから聞くに、自分は自閉症で知的障害あり、障害手帳を持っているとのことだった。
確かに、話しながら自分が何をはなしているかわからなくなってあれ?っていうことや、この間話したことを忘れていたりも多かった。ちょっと舌足らずなのも特徴的だった。
他方で、 彼には、一部分、ずば抜けた記憶力があった。
病棟には医師と看護師のシフト(夜勤や3班の振り分け等)がわかるようにホワイトボードにマグネットで、名前や役割が貼られている。午後5時前にと翌日シフトが張り替えられる。このIさんは、誰が何の担当かを全て覚えていて、よく私に、あしたは藤田さんの担当は、だれだれだよ、と教えてくれた。
「急性期病棟の生き字引」なんて呼ばれるくらい、何度かこの病院に入院したことがあるし、病棟の話(誰がいつ退院とか)をよく知っていた。わからないことがあったらまず、Iさんに聞けくらい。
彼は、私のことを「藤田さんはいつもニコニコお話しを聞いてくれて嬉しいんだ」といって、よく話しかけ来てくれた。
私は、そのたびに「Iさんがニコニコしているから、私もニコニコなんですよ」とお返ししていた。
そのIさんを前に、私は涙ながらに「せっかく入院になれてきたのに、怖くて」と泣きつく事件が起こる。
次回は、「お前が盗んだのはわかってんだよ」。