●憧れの単独外出

 

 昼食後、女4人で雑談していると、70代女性が

 「じゃ、私、午後の外出の準備があるので、このくらいで」と席をたってお開きとなった。

 

 Mさんが「私も、はやく単独外出できるようになるから!」と意気込んだ。

 

 私は、まだ外出の種類がよくわかっておらず、「単独」とか「昼通し」とかみんなが言っている意味がわからず、教えてもらった。

 

 外出に関する制限や自由は段階がある

まず、段階を追って言うと

 

 1.外出不可(付添い有無に関わらず)

  幻覚やせん妄、自殺願望など強い場合は、この急性期病棟から出られない

 

 2.付添人ありで院内外出許可

  看護師や家族等の付添いであれば、病院の敷地内であれば外出OK→私は当時ココ。

 

 3.院内単独外出許可

  病院内であれば、付き添いなしで単独で外出OK

  

 4.院外単独外出許可

  病院の外に出てOK。ただし、症状に応じて主治医がその時間には制限をかけたりする

 

 5.外泊(ひとによっては、3泊4日×2などもやる)

 

 私は、とにかく看護士さんの忙しさや、土日は看護師がいないことから付添いが制限されてしまうのが嫌だったので、「院内単独外出」を当面の目標に据えることにした。

 

 午後1時半になると午後の外出OKの時間になるので、ナースステーションには外出のためにサインをもらったりする人の列ができていた。

 

 「私も早くあの列の中に加わりたい」

 

 Mさんのおかげで談話室も、私の行動範囲に加わり、私は歩かないと!と数十メートルの廊下とたまに談話室、をとにかく永遠と歩いていた。お百度参りならぬ、お百度廊下。

 

●無用な犯人(原因)探しは悪化するだけ

 

 部屋にいるだけではなくて、外に行きたい、歩きたいというエネルギーが湧いてくるようになった私。

 

 そこで歩きながら考えたのは、

 

 「なぜうつ病になってしまったのか、何がよくなかったのだ」だった。

 

 このうつ病の犯人捜しがよくなかった。

 

 私は、まず、時間を戻して、そもそもの、第2子の出産のときのことを思い出した。

 2-5「無痛、神っす!」 でも触れたように、最高に楽なお産だった。

 

 ふと思い出した。私、下の子が産まれた時に、嬉しいという感情と一緒に実は

 

 「あ、この子、私に似ちゃったかも」という思いを抱いたことを。

 

 私は、いわゆる美人といった部類とは無縁の人間だ。 

 

 夫は、別に美男子ではないが、目がぱっちりしていて(たまに日本人じゃないようにみられる)ホリが深い顔だ。

 

 上の子は、夫に瓜二つといってよいほど目などそっくりで、バカ親かからみても可愛い赤ちゃんであった。目が大きく、まだ色素が薄めで、髪の毛も薄茶色だったのでハーフちゃん?と言われることも、多々あった。ちなみに、ぺったりと細いストレートという髪質は私そっくりだった。

 

  義母は、上の子を「●●(夫)の小さいころにそっくり!」といって相当かわいがってくいた。何につけて、夫にそっくりな点を見つけては教えてくれる。

 

 出産前、性別がそろそろわかるかな?というころ。

 その義母が、夫づてに「性別はどちらでも。ムウちゃんみたいにかわいい子を産んでくれたら」と言っていることを知る。

 (そして、実際には、この文言のママではないのかもしれない。それくらい伝言ゲームは怖い)

  

 私は、最高の出産の中にありながら、「あれ、下の子もしかして、私に似ちゃったかも・・・」と実は一瞬思った。

 

 あーこれをもしルイちゃん読んだら、本当にごめんなさい。

 

 普通なら、私に似てるーきゃー可愛い!のはずなのに、母はどこまでも小さく自分に自信がない人間だったのです。

 だから、私に似てどうしようと、一瞬思ったのだ。

 あなた、可愛いから!安心して。ふたりとも最高に可愛いから。まじで。

 

 私は、この産んだときの瞬時抱いた罪悪感を拡大解釈していくことになる。

 

 そして、実母がお見舞いに来た時に、「何がいけなかったのかしら」というので、とっさにこのエピソードを話した。

 実母は、しばらく平日は、うちに泊まり込みにきていて、義母と義息子(私の夫)との奇妙な生活を送っていて、なんと、義母にこの話を悪意なくしてしまうのだった。

 

 それを聞いた義母はこう思う。

 

 「なに、私のせいだっていうの??」

 そりゃ、怒るだろう。もう数か月単位で身を粉にしてこの家につくしている義母にはひどい話だ。

 

 その怒りを私は、夫から聞く。また伝言ゲームだ。

 

 私は号泣して、実母に電話した。

 

 「なんで私が話したことをそのまま話すのか。もう私はお母さんに本心を話すことはできないよ」と泣きじゃくりながら言った。

 母は何度も謝っていた。

 

 「ごめんなさい。本当にごめんなさい。お母さん困っちゃったわ。いやね、お義母さんと何がいけなかったのかって話していて、ちょっと思い出していちゃったのよ」

 

 なんと、デリカシーのないことを・・・・。

 

 しかし、発言は取り消せない。それくらい人の 「  」(かぎかっこ)は強いのだ。

 政治家の舌禍ではないが、発言が独り歩きする、そして取る人によってそのニュアンスが違ってくる。

 

 私は、この伝言ゲームにこのほかにも振り回される。 この「私に似ちゃったも」事件は、まだ入院してから先のことだが、書き出したので一気に書いておきました。

 

 久々のいまの私が当時の私に言えること

 

 「うつ病の安易な原因探りはやめろ。みんなが傷つくだけだから。そして自分も」

 

 でも、原因探ししない限り、うつ病の根底から治すことは難しいのも事実。難しい、うつ病との向き合いとは。

 探すべきは、もっと根底にある問題、私に関しては「家事・育児・仕事」このバランスを取りながら、ちゃんと子供たちを育てられるのか」という先取りの不安だった。取ってつけたような似てる、似てない問題などではなかった。

 

 それくらいうつまっただ中のときには思考がマイナスの連鎖を産むのだ。

 

 次回は、「久々の主治医との問診で出た珍質問」の回。