●謎の病院ブレンド「うっすーい茶」
夜が怖くてナースコール、朝が怖くてもナースコールと、閉鎖病棟の一夜はめちゃくちゃ、へとへとだった。
泊り勤務の看護師さん、すみません。
病室の外を歩くのはまだ怖い。
しかし、病室を出ざるをえない状況がある。
お茶が欲しいのだ。
入院の時に 「飲料水は、水道水で」と言われていたが、なんとも味気ない。
急性期病棟には、自動販売機はあるのだが、ノンカフェインの飲料がない。うつ病の主な症状に「不眠」があることを考えると不思議だねとよく患者同士話していた。
無料のお茶が各食事の30分前からタンクで談話室に置かれる。このお茶が勝手に病院の名前を読んで「○○ブレンド」と私は命名していたが、うっすーい色でぼんやりした味のお茶で、最後まで何がブレンドされているのかは謎だった。看護師さんにも聞いたが、調理室からの配給なので謎だとのこと。
朝ごはんの前、朝7時すぎ。お茶が配給される時間に、コップをもって談話室に恐る恐る行ってみた。人はまばらだったが、お茶待ちが何人かいて、「おはようございます」と引きつり笑顔であいさつしてみた。
私の前の男性、無視。刺さる―。
いかん、いかん、こんなことで刺さっては。
結果的に、朝ごはんは看護師さんが持ってきてくれたが、手をほとんどつけられなかった。
昨夜ほとんど寝ていられず、疲れ切っていていつの間にかそのあと寝ていた。
午前9時半すぎに、きょうの担当だという男性看護師Oさんが来た。葉加瀬太郎みたいな髪型で笑顔でキュートな方だ。このフロアの副士長だという。
検温をして、血圧を測る。
看護師Oさん 「何か困ったことありますか?」そのニコニコの顔に肩の力が抜けて、泣く
私 「夜も朝も怖くて、あとまだこの病棟が怖くて、わたし、こんなところにいる人間じゃないって思っているんでしょう。まだ受け入れられないんです」
看護師Oさん 「そりゃそうですよね、閉鎖病棟に入って、1日で慣れたなんていうほうが変ですよ。心配いりません。思っている以上に、患者さんたちいい人ですし、もしもトラブルがあったら、ナースステーションで声かけてください」
私は、また泣いていた。一日どれだけ水分消費しているんだろうか。
水分で思い出したが、個室に洗面台はあってもトイレやシャワーはない。トイレは、ほぼ部屋の前のある女子トイレに入るのだが、かなりぎょっとする光景がある。
おそらく80代くらいの女性だろうか。このおばあちゃんがトイレの扉を絶対しめないのだ。だから入るたびにぎょっとする。あと、この方は個室だったが、部屋でも絶対に扉を閉めない。目があっても沈黙。部屋では、足を床につけてベッドに上半身をエビぞるようにしていつも寝ている。彼女は、私が入院して1か月くらいいたが、いつの間にかいなくなっていた。おそらく、症状やよくなって退院というよりは、転棟(慢性期病棟に)か、何らかの施設に行ったのではないかと思う。
シャワーは、毎日午前か午後1時間半の間だけ入れることができた。土日は閉鎖。これは清掃の関連で土日は人出が薄い(個室料が安い最大の理由だと思う)ので、シャワー室は閉鎖するのだ。このシャワーシフトによって行動が縛られるのが結構不評だった。
看護師Oさん 「きょうは、おそらく、内科から呼ばれてCTや心電図、レントゲンなどの一連の検査があります。いつ呼ばれるかわからないので、連絡が来たら来ますので」
私 「はい、病棟外出許可出ていないので、暇ですからいつでもいいですので笑。あ、ひとつお願いがあります。いつでもいいですので、院内散歩と下の売店へどなたか付き添いをお願いしたいのですが」
看護師Oさん「僕が担当なので、午後2時くらいに出ましょうか。それではまた」
主治医S先生に言われていたことがある。日の光を浴びること、規則正しい生活をすること、食事をできる限り食べること、これに
「歩くこと」
と言われていた。看護師さんに頼んで同伴してもらって院内(敷地内)でいいからなるべく歩くことと言われいた。私は、早く治したいと思っていたので、体は泥のように重たかったが、1日1回は散歩にでることを課すことにした。
スーツケースの荷解きでもするか・・・キャビネットに服や下着を入れる。
ここで、私がひとつ恥ずかしかったのが、みんなユニクロ1000円とかのスエットではなくて、結構普通の服装をしているひとが多かった。
私は入院=入院着かスエットかと思い込んでいた。
●OTでの星野源、そして運命(?)の出会い
そこに、チャイムとアナウンスがなる。
「出張OTのお時間です。談話室で、DVDや雑誌などをご用意しています。コーヒーやお茶などもご利用できますので、お時間のある方は談話室におこしください」
OT??私は、このオーティーがなかなか覚えられなかった。たった二文字の英文字を覚えていえるまで数週間かかった記憶がある。OJとか、OJTとかJTとか呼んでいた。うつ病を発症してから、本当にものが覚えられないし、文字が頭に入ってこないのだ。
OTは、occupational therapyの略。
作業療法といって、「医師の指示に基づき、作業療法士等が音楽・絵画・陶芸・手芸・スポーツ等のプログラムを通じて、専門的なリハビリテーションを行う」と入院のしおりにある。
このOTは、基本1FにあるOTルームで行うのだが、私のように病棟外に出る許可がない患者や、足の不自由なひとたち(高齢者が本当に多かった)などが病棟内で受けられるように、週に1回出張してきてくれるものだ。
恐る恐る行くと、談話室の丸テーブル2台上にDVDプレーヤーが計6台、あとは塗り絵をしている人や、雑誌(グルメ本、女性向けだとOZやInRedなどがあった)を読んでいる人など様々。基本みんな集中しているから無言。
ポロシャツ姿の中年の男性作業療法士が、声をかけてくれる。
「飲み物1杯までですが、無料でどうそ」
冷たいお茶、ジュース、それからお湯で溶かすスティック状のコーヒーやカフェオレなどがある。
「カフェオレ、いただいてもいいですか?」
お湯を注いで熱い用紙コップをもらう。
すする。
甘い。
おいしい。なんか甘いもの久々に口にした気がする。
生きてるんだなって、思った。
DVDでライブ映像をみているひとたちがいて、私も見ようと思った。テレビに比べてたら文字とか少なさそうだし。
カゴに入ったDVDの背表紙をざっとみる。目に入ってきたのは
『星野源 YELLOW VOYAGE』
「!これ、お借りしてもいいですか?」
DVDプレーヤーの使い方を教えてもらい、ヘッドホンをつける。
目の前には、「大阪~!」と絶叫する星野源。大ヒットアルバム「YELLOW DANCER」を引っ提げた大阪城ライブだ。
曲目を言う。
「SUN!」 (歓声ワー)
よく聞いた、この音楽。
つつーっと涙が流れてくる。
耳から聞こえてくる星野源の声と、大歓声。
歌、うまい。耳と目から入ってくるキラキラの躍動感。
一方、私は、何をやっているんだ。
悔しさと罪悪感と、でも、慣れ親しんだ音楽と大好きな星野源を前にした、純粋な感動。いろんな感情が織り交じって、私は、声を出さずに泣いていて。何度も涙をぬぐっていた。
まさか、星野源氏も、精神病棟でうつ病のオンナに凝視されて泣かれているとは思うまい。
目の前のおばあちゃんが、氷川きよしのDVDを見て、「KIYOSHI!」と連呼している。ヘッドホンをしていても星野源の音声からかぶせて聞こえてくる。
星野源のDVDはたぶん、人気があるのだろう、途中で音飛びしたりしていた。 あっという間に1時間弱が過ぎた。
トントン、と作業療法士のひとに肩をたたかれた。
「藤田さん、ですよね?」
「(え?!なんで私、名札つけているわけでもないのにわかるの??)」
「僕、作業療法士で藤田さん担当Nです。入院されたばかりで、もうOTに来るなんてえらいですね、藤田さん。ごめんなさい。お時間がきちゃって」
この茶髪の一見ちゃら風の若い男性。この作業療法士のNさんは、長きにわたって、最後に至っては担当を外れたのに私のよき相談相手に、心の支えになってくれるひとになる。
「星野源のDVD、気に入ってくれました?人気あるんですよー。きょう持ってきてよかった、藤田さんが気に入ってくれたみたいなので」
なんか、ほっとした。こんなに話しやすそうなひとがいるんだ。
「星野源好きでよく聞いていたんです。でもにわかファンなので、ライブ映像あんなにまじまじみたの初めてで。気持ちが落ち込んでいたんですが、すごく癒されました。ありがとうございます」
深々とお礼を下げる。小さなことが感謝の気持ちでいっぱいだ。
作業療法士Nさん 「藤田さんは、まだ院内外出の許可が出ていないみたいですが、きっとすぐ出ると思いますよ。S先生が担当ですよね。下のOTルームには、もっとDVDもありますし、日によっては卓球とかもできます。編み物をしたり、絵をかく人もいます。何か合うものがあるかもしれませんので、お待ちしています」
すごい、この人、私の主治医、それから外出制限のこと、いつ入院したか、全部頭に入ってるんだ。
私は、純粋に私のことを見てるひとがいるんだっていうことに、ちょっと感動した。
きょうは、なんかいい日になる気がする。
ありがとう、星野源。あとNさん。
次回は、「涙の心電図」。