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今回は、2017年11月に発行していた

 

メルマガからのお題目。

 

「自分の真の姿を観る方法」です。

 

 

 

 


自分の目が自分では見ることができないように
 
ヒトは自分の真の姿を自分で観ることはできない
 
 
自分の真の姿は、
 
自分の「目」で観たものによって現れる

 
 
 
まず、この言葉を紐解くためには、
 
宇宙の法則、ヒトの脳みそ、そして、
 
量子論を頭にいれておきましょう。
 
 

 


まずは「素粒子」のお話。
 
素粒子とは、この世界に存在しているものの中で
 
原子、分子などと同様に、一番小さな物質です。


 

 
生物、機械、
 
そして観えないもの、たとえばヒトの意識、
 
そして様々なエネルギーまでも、
 
ありとあらゆるものの素になるものが
 
この素粒子です。
 


 
 ひとつの特徴として、
 
 
「普段は波の状態であるが、
 存在を認識されたとき、粒になる」

 


 
つまり、この世界のすべてのものは、
 


何ものかに認識してもらわなければ存在できない(波のまま)。
何者かに「これは○○だ」と認識してもらうことで○○になり得る

 

 

というわけです。
 
 
  
たとえば、
 
同じ「水」でも、
 
それが「水たまり」なのか、「湖」なのかは
 
ヒトが観て、決めていますね。
 
 
でも、中で泳いでいるお魚は、
 
自分が泳いでいるのが水たまりなのか、湖なのかはわからない。
 
自分のことでさえも、誰かが言ってくれない限り、
 
自分は魚だとは、認識していないかもしれません。
 
 
 
言い換えると、
 
何かにいてもらうことでしか、
 
自分を認識できることもない、ということ。
 

 

 
鏡で見ることによって、自分の目も
 
観ることができます。
 
自分の顔がどうなっているかは、
 
鏡がなければ到底わかりませんよね。
 
 


自分が鏡を見た(認識した)
鏡が自分の姿を映した(認識された)
 

これで、やっと、自分のことが、わかる。

 

  
そして、
 
普段、その「鏡」の役割をしてくれているのが、
 
「ヒト」である、ということです。
 

 

 

 


以前、限定の動画で、
 
パートナーシップが大事、ということを語りました。
 
 


昔のことわざで、
 
「人の振り見て我が振り直せ」
 
というものがありますが、
 
 


自分の普段とる行動をやっている人
自分の意識していることをやっている人
自分の赦せないと思っていることをやっている人
自分にはできない、と制限していることをサラリとやっている人
自分もやってみたい!と思っていることをやっている人

 

 


このような人が目の前に
 
突如現れることがあります。
 
 


自分が普段やっていること、思っていることを、


人がそのままやってくれているような感じです。

 

 

それを観たときに、

 

自分がどう思うのか?

 

に注目です。

 

 

 

嫌な氣分になったり

うらやましいと思ったり

 

 

そこに「感情の反応」が起こるとき、

 

「自分もそのうちの一人だ」

 

と言うことが言えます。

 

 

自分と何らかの共通点がなければ、

 

きっとあなたは何の反応もしないはずです。

 


良くも悪くも、
 
あなたの前にいるヒトは、
 
「あなたの真の姿」というわけです。

 
 

 

 

 

「ヒトのことを理解する」ということは、


同時に「自分のことを理解する」ことに繋がります。
  

 


自分の真の姿は、自分では観えない
 


けれども、

 

ヒト、環境、状況・・・
 

それらの自分を取り囲んでいる存在から、

 

あなたの真の姿が浮かび上がってくるでしょう。

 

 
自分、そしてヒト、
 
新たな視点でみていただけたら嬉しいなと思っています。
 

 


 

 

 

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