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今回は、孔子の言葉のご紹介。


 

 

 

 

考えのない学びは、無駄である。

学ばずに考えてばかりいては、危険である

 

 

 

 

 

 

これ、初めて読んだときは、

 

孔子が、自分に言ってくれた言葉だと思ってました(笑)

 

 

 

 

まず、

 

「考えのない学びは、ムダ」

 

 

 

 

この状態というのは、

 

目標、目的がはっきり設定できておらず、

 

ただただ、やみくもに

 

 

・・・なんでもいいから勉強しとこう・・・

 

 

 

 

っていう、遠回りなパターンに陥っている感じです。

 

 

 

私も、何かを始めたいと思い、

 

いろんな教材を買ったり、塾に入ってみたり、セミナーに行ってみたり・・・

 

 

本当に、やみくもにやった時期がありました。

 

 

 

まあ、それでも、ムダだったかと言われればそうでもなく、

 

学んだことで氣づいたことは、

 

 

 

自分は、これをやりたいわけではなかった。

 

 

ということがわかったので、それはそれで良しとして(笑)

 

 

 

しかしながら、このブログを読んでいるみなさまには、

 

遠回りしないことをおススメします(笑)

 

 

しっかりと、自分のゴールを設定して、必要なことを学んでくださいね笑い泣き

 

 

 

 

 

では、もうひとつの、コレ。

 

 

 

「学ばずに考えてばかりいては危険」

 

 

 

人というのは、経験したことや、知識を得ることで学びますが、

 

人との関わり(ご縁)」でも、大きく学ぶことになります。

 

 

 

考えるということは、自分の中に落とし込むことであったり、

 

ものごとを、自分自身で咀嚼するということ。

 

 

 

もし、学びや知識を得ることをせず、

 

自分の世界の中だけでものごとを考えると、

 

人生の、迷子になります。

 

 

 

人というのは、どんなことも、

 

環境、ヒト、などから学んでいます。

 

それは例外なく、です。

 

自分から、「ゼロ」生み出すものなんて

 

実はないのです。

 

何かしらからの影響を少なからず受けています。

 

 

 

ですので、

 

他から学ぶと言うことを拒否したり、

 

他の世界と断絶してしまうと、

 

グルグルと同じ思考を繰り返してしまうので、

 

 

 

「スピリチュアル・ジプシー」や、

 

間違った「成功法則の使い手」

 

みたいな状態に陥ってしまいます。

 

 

 

自分の中だけで考えることは、しょせん、

 

今までの自分の経験や、知識でしかないのです。

 

 

 

あらたな氣づきであったり、学びを得ることは、

 

外の、「目に観える世界」から、であるのです。

 

 

 

 

「この世は幻である、自分の意識が創り出した蜃気楼である」

 

 

それは間違いない、と、私も思います。

 

 

ですが、なぜ、自分がその「蜃気楼」を生み出したのか?

 

 

 

それは、

 

人間がこの世界で、

 

学びを得るために、他なりません。

 

 

 

 

学びを得なければ、この世は意味はありません。

 

世界中と広く交流がなければ、生きてきた意味がわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

 

 

つらいことや悩み、なぜ、そんなことを、

 

自分は意識して、それをこの世に投影するのか?

 

 

 

 

 

それは、それを解決するためです。

 

それが、人間の、生きる意味である、と私は思っています。

 

 

 

 

 

 

乗り越えなければ、永遠にそれは繰り返される。

 

 

それが、この世のからくりであり、

 

大切な、学びでもある、と言えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回は、このへんで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました

 

愛と感謝をこめて。


            

 

 

                          

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