1995年1月17日 午前5時46分。
近畿圏の広域地区で 大きな地震がありました。
あれから23年。
私は誕生日前だったので22歳でした。
この年の1月13日。
兵庫県伊丹市に住む弟のアパートに 母と2歳の息子を連れて遊びに行ってました。
そして夜行バスで 1月15日の朝 熊本に戻ってきて。
その2日後の大地震。
地震が起きた日の朝。
私はトイレに起きて 地震の揺れを感じてテレビを付けたら・・・。
熊本の震度は2くらいだったと思う。
そして震源地を見たら・・・。
もう目が点でした。
2日前に行っていた 兵庫県で大地震。
すぐに弟の携帯に電話するも 全く通じず。
安否の確認が取れたのは 大地震から4日後でした。
あれから23年も経つんですね。
あの年に生まれた人は 23歳の成人さんですね。
本当に月日が経つのは早いです。
熊本地震の時 避難する時に心掛けたのは。
ガスの元栓を閉めて ブレーカーを落としたこと。
これは ガスと電気が復旧した時に ガス爆発やコンセントからの漏電で起きる火災を防ぐため。
明日は我が身で逃げなきゃ行けない時に ソコは頭から離れなかった。
阪神・淡路大震災を経験した弟から とにかく二次災害が被害を大きくした。という事を聞いていた。
寒い時期だったから ストーブやコタツなどの暖房器具関係での火災も多かったと聞いてます。
その二次災害で 弟は最愛の人「みっちゃん」を亡くしてます。
結婚も秒読みで みっちゃんのお腹には新しい命も宿ってました。
妊娠3ヶ月目でした。
その年の1月 家族で兵庫県に行ったのは みっちゃんのご家族との顔合わせもありました。
結納なども済ませなきゃいけないとか・・・。
そんな話を母としている時の大地震でした。
今でも弟は独身です。
「結婚は面倒くさい」と言ってますが・・・。
みっちゃんの事が忘れられないんだと思います。
私より2歳上のみっちゃん。
生きていたら 頼りになる義理姉さんになってたと思う。
あの時 連れてってくれたお好み焼き屋さんの味。
忘れられない。
子供さんを亡くした人。
ご両親を亡くした人。
親戚を亡くした人。
知人や友達を亡くした人。
それぞれ辛い思いをした23年間だったと思う。
勿論 私の弟も。
弟は毎年 兵庫県の伊丹市へ行きます。
みっちゃん。
みっちゃんのご両親。
みっちゃんのお兄さんと妹さん。
家族全員 火災で亡くなってます。
ある共同墓地で眠ってます。
1人で みっちゃんご家族のお葬式をした弟の気持ちを考えると胸が苦しくなります。
全ての方のご冥福をお祈りします。