04:44、ABEMATVで渋谷交差点画面を眺めている。始発が出始めてから、朝帰りの人達がうようよ駅に向かっている、たぶん歌舞伎町も池袋も同じ光景だろう。さすがに博多駅でもこれはないだろうなあ…。まして南九州では人自体少ないから、鹿児島中央駅、宮崎駅も閑散としているだろう。



 昨夜はコンビニに寄り、久しぶりに弥五郎経由で21時前に帰宅。ただ、野方で降りて国道で帰ってくるいつもの道と時間はあまり変わらない。


 イップスを見ながら食事。後は報道ステーションを見ながら居眠り熟睡。3時間近く寝た。1時20分には起きて妻を起こす。なんとなく目が覚めたから、録画したニュースを見たり、あれこれと。


 ニュースは鹿児島県警の告発、旭川市の女子高校生殺害事件、イタリアサミットなどだが、ローカルニュース的にはプラッセだいわ鹿屋店跡地にイオン鹿屋店ができるとのニュースの方が大きい。都城市の規模くらいかな。



 日曜日の父の日は妻は早朝厨房1日出勤、土曜日に行くことに。


 しかし、僕らには子どもがいないから妻の両親がやがて旅立つと、祝うこともないな。


 八幡から上京したくて、しかし京都で学生時代をおくり、仕事で厳しい東京生活になり今は首都圏、関西圏どころか、故郷の福岡が遥かに遠い大隅半島で定年退職も5年近く前に過ぎ、朝、渋谷スクランブル交差点の画面を眺めている…。


 北九州にいた頃は街の賑わい、活気、都会の学生生活にあこがれ、実際は京都の郊外の衣笠キャンパスに通う生活、上智や明治に通う友人達が羨ましかったものだ…。


 が、今60半ばになると京都、東京、 どちらも地方から一人暮らしで生活するためにはアルバイトと奨学金を大半の人達が必要として生活していることを考えると、45年前だから貧乏でもまだ九州から出ることができたのだなとつくづく思う。


 今、僕自身が北九州の高校生だとしたら、北九州市立大学に行け!と親には言われているだろうか。せめて博多の西南学院か福岡大学に進学させてくれ、と親には言っているかもしれない。


 今はもう九州、東北などのブロック内移動が大半で、関西圏、首都圏の大学に大隅半島から進学する人がどのくらいいるだろうか?経済的にも厳しい状況だろうが…。結果的にも仕事でリセットされることがないから、格差社会の階層固定化がより一層進んで いる。



 明るい未来を日本は迎えていけるのだろうか?



 分割睡眠、少し布団に、身体を伸ばそう。