アメブロを見ていると、有名国公立大学、私立大学に通う学生の息子や娘の事を書いている母親、中学校受験の事を細かく書いている父親、母親の多いこと…。我が子が可愛くて、経済的にゆとりがある世帯は子育てイコール受験、こうなるのかなあ・・。南九州、曽於市だと、公立小中学校から大半が公立高校に進学して、就職か専門学校、短大 が大半。40%を切る程度が「大学」受験、もちろんいわゆる偏差値の低い私立大学も含めた大学進学を目指す。たぶん南九州が6割強、2割強が福岡都市圏、九州。残り1割強程度が経済的にも恵まれている、が、奨学金は必須条件の首都圏や関西圏のいわゆる偏差値にとらわれない大学進学だ。 超少数、産近甲龍、日東駒専レベルに進む。国公立大学進学メインのカリキュラムでは、何より鹿大・宮大合格メインだから、マーチ、関関同立に価値を見出さないし、評価もない。はなから早慶も含めて対象外なのだ。僕自身が受験していた1978年の北九州八幡よりも今の南九州の方が更に流動性がなく、硬直化、階級固定化傾向が強くなっている。九州から首都圏に進学するのは各県の県都の進学校と福岡都市圏の高校くらいだろう。高校生の頃の 僕自身、よくまあ貧乏をかえりみずに早稲田とか立命の史学とか考えていたものだ。当時北九大や西南学院、福岡大学に史学科は設置されてなくて、数学が駄目だから九大、熊大は無理、必然的に首都圏か関西圏の私大にならざるを得なかった。あの時、父親は大学を全くわかっていなかったから話もしなかったし、母親は駒沢、と担任が高校3年の実力相応大学の名前を出したらそれなら働け!と きれていた世間知らずだった。僕自身も受験大学のレベルをさっぱり把握していなかったはず、関西圏の比重も今よりは高かったから、関関同立の偏差値も今より高かった、なんてあの時の僕自身、全く把握していなかった。


  東京で河合塾のチューターだった時は首都圏の国公立大学、私立大学進学の指導が当たり前だったが、南九州の県都でもない地方にいると、公立小中学校から公立高校入試を経て、鹿大、宮大、大分大、熊本大を目指すのが受験の正しいあり方、みたいなところが経済的にもある。はなから首都圏や関西圏の私大は経済的にも論外。だから国公立大学に不合格だった時は、レベルに応じて西南学院か福岡大学に進学する。もしくは私大専願なら九産大や久留米大まで文系は併願で受験する。福岡に行けない場合の文系には宮崎産業経営大学、南九州大学、志學館大学、 鹿児島国際大学に進むしかない。偏差値とは関係ない受験の世界がある。ちなみにさすがに早稲田の名前は知っていても、僕の出た立命の名前を残念ながら大学受験に無縁な親戚は知らないからなあ…。


 アメブロに子どもたちの事をあげている人たちは恵まれていると思うなあ…。こうやって、首都圏や関西圏とその他地方との格差は開いていく。


 僕みたいな北九州を出て、京都の学生時代から就職で首都圏に来て働いて、親の出身というだけで関わりが全く無い大隅半島に来たって…64になってもよそ者のままだ。流動性がない地域だからなあ。本当に、昭和の時代に末吉高校から拓殖大学にアルバイトしながら進学した綾小路きみまろ氏は凄い。並大抵の苦労じゃなかったはずだ。しかし、この辺を若いときに出ていった人たちは、帰ってこないな…綾小路きみまろ氏も、哀川翔氏も…。やはり思い出よりも生活の利便性を考えたら、こちらに暮らす選択肢はない。確か国生さゆり氏が鹿屋市に来て、半年くらいで離婚して東京に生活を戻したことがあった。いわゆる黒歴史みたいなものか…。鹿児島市出身の職場の同僚でさえ、不便、過疎地域と大隅半島を見ている。青森県の下北半島や津軽半島と同じ。どうしたら今から経済的に発展できるのだろうか…。もう、無理なのだろうか…。


 日曜日朝6時前、少し布団に、身体を伸ばそう。妻はとてもゴールデンウィークじゃないが、ささやかに土日連休だ。